2018年11月25日

アウト&アウト/この娘の代わりに泣くか、死ね

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オフィシャルサイト

暴力の扱いに長けているだけで暴力を喰って生きているわけでもない矢能という男の、しかし暴力から離れたところで生きる自分を想像できない/しないあきらめと倦怠を、自分に対する仏頂面と親代わりの栞(白鳥玉季)に向ける真顔との間を少しだけ面倒そうに往き来しながら遠藤憲一が演じている。いまだにワタシは、ほうっておくとBE-BOP-HIGHSCHOOL ビー・バップ・ハイスクール』を撮ってしまう人というイメージがきうちかずひろ監督にはあって、あの寄る辺のない陰惨さが本質なのだろうと思っているので、19年ぶりのメガホンでみせるこんな風に暴力を情で抑え込む時の軋みによって映画を絞り上げていく舵の切り方に少し驚いたりもしたのだ。そして矢能には緊張と緩和の余分なサービスをさせないよう、その周囲をファンキーで愛すべき取り巻きが敬愛と冷やかしの顔つきで練り歩く構図を用意した上で、最終的には全員でよってたかって広げた風呂敷をぐいと縛ってみせる手口のたたみかけるようなスピード感には爽快さすら感じたのである。そして「語尾とか多少変えてもいいですか」と聞く遠藤憲一にそれを許可した監督が、、撮影開始3日目にして「もうアイデア出すのやめてくれ。やりたいことやっていたらキリがない。時間も予算もないんだから」と前言を翻す話、「ジョン・カーペンター読本」の冒頭で黒沢清監督がしたためた「遊星からの物体X」論にして素晴らしいジョン・カーペンター論にしのばせた“映画はこの程度でいい”という一言が頭に浮かんで、なんだか清々しい気持ちになったりもしたのだ。久々の本業でニコリともせずフルスペックを発揮する遠藤憲一はともかくとして、成瀬正孝から中西学まで軽重を使い分けるキャストと弾き方も見ものである。きうちかずひろ作品においてハードボイルドもしくはハードアクションと言う時のハードは、“激しい”ではなく“硬い”であることをあらためて認識したし、1から10までを見せつけずに切り上げるアクションのダンディズムもいっそう滋味深く、深夜ドラマもしくはPCやタブレットの液晶画面ではなくスクリーンでそれを観る僥倖を知らずにいるのは何とももったいない話だなあと思う。
posted by orr_dg at 20:20 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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