2018年11月22日

ア・ゴースト・ストーリー/俺が昔、幽霊だったころ

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オフィシャルサイト

『セインツ−約束の果て−』も薄く透けそうな影を彼岸に揺らす人たちの物語であったなあと、孤独や孤絶を不可侵の魂が放つ光ととらえるデヴィッド・ロウリーによるあらためてのマニフェストにも思えたのだ。愛であれ恐怖であれ、死者に思いを託すために生者が生み出した幽霊という、生命のくびき、言い換えれば時間の流れから放り出された存在が背負うのが喪失と孤独であったとするならば、幽霊たちの魂もまた光を放つのではないか、とその光に監督は想いを馳せたのだろう。そんな風にしてC(ケイシー・アフレック)の彷徨に連れられたワタシたちが見るのは、そこにあるのに誰も識ることのない時間の記憶であり、それは劇中においてLegacyという言葉で語られた継承される人間の営為とも言え、開拓時代の女の子が口ずさんだメロディや彼女が石の下にそっと隠したメモが時間を超えてCやM(ルーニー・マーラ)を串刺ししていたのは言うまでもないし、神も仏もいないいつかは消え去る運命にあるこの世界でなお営為を重ねずにはいられないのが我々人間なのだと滔々とまくしたてるウィル・オールダム(=ボニー“プリンス”ビリー!)を邪魔することなく耳をかたむけたCが過去と未来の永劫に身を任せ、すべてを目撃しては身投げすらする姿は厳かで怖ろしく、そして底知れぬ哀しみを湛えていて“いま自分が見ているこの瞬間のこの光景を、いつまでも自分のものとして持っていたいと願うこと。それがペシミズムの出発点だ”と片岡義男が明かしたその正体は、ワタシたちを成立させているすべての時間の記憶による抑えきれないさざめきなのかもしれないと思ったりもした。まるでスナップショットを額装したようなスタンダードサイズのフレームも、薄れていく記憶の断片を投影しているかのようでメランコリーをかき立ててやまない。数分の間Mがただひたすらパイを食べ続ける、食欲を満たすと言うよりは嗚咽が漏れ出すのを抑え込むかのようにパイをえぐっては力任せに喉へと押し込むロングテイクでは、フォークが皿をつつく音の催眠的な響きとリズムがMからすべての味覚を奪ったかのように錯覚させ、まったく味のしない食べものを延々と食べ続ける気味の悪さに、ついに彼女が嘔吐したときにはほとんど安堵すらしたのだった。なかなか出演作品が日本公開されないウィル・オールダム(=しつこいけどボニー“プリンス”ビリー!)の勇姿を堪能できたのも望外の喜び。ワンシーンだけなのに誰よりもセリフ多いし。
posted by orr_dg at 11:57 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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