2018年11月16日

マンディ 地獄のロード・ウォリアー/魂の自由を信じる俺という人間のシンボル

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オフィシャルサイト

この世には2種類の映画しかない、ニコラス・ケイジが出ている映画とニコラス・ケイジが出ていない映画だ。そして目を閉じた時まぶたの裏側で炸裂し続ける光の明滅を、星座のように線で結んでニコラス・ケイジを見つけた瞬間、映画に”MANDY”という名が宿る。これはニコラス・ケイジが出ている映画だ。この世界に生きるたったひとつの理由だった女性を目の前でガソリンをかけて燃やされた男はどうすればいいのか、どうするしかないのか、右手を手錠でつながれ左手を五寸釘で床に打ちつけられた男はどうすればいいのか、どうするしかないのか、ハイパーなコカインのオーヴァードーズで自身の人間を焼き切って変質した鋲とレザーの生き物と闘うにはどんな武器を造ればいいのか、造るしかないのか、自分のチェーンソーの倍ほど長い刃のチェーンソーを持った相手とどう闘えばいいのか、どう闘うしかないのか、そいつを殺してもこの世界に生きるたったひとつの理由だった女性はもう帰ってこないと知りつつ、しかしその男を殺さずにはいられない時、そいつをどんな風に殺せばいいのか、どんな風に殺すしかないのか、今まで知りたくても知ることができなかったすべての答えがここにはあり、ニコラス・ケイジがそれを血まみれで教えてくれる。すべてを自己責任で生き抜くしかないこの世界で自己憐憫の呪いにとりつかれないためのフットワークとフィニッシュブロウがここにはある。そしてそれを鼓舞し祝福するのが“友だちの兄貴のトランザムのバックシートでマリワナと革とイエローパインの芳香剤の匂いにビビリながらもスリルを感じてるガキの気分”が欲しいんだと監督がヨハン・ヨハンソンに告げたそのスコアであったなら、それをこの世のものとは思えないあの世以外の何と呼べばいいのだろうか。ワタシは惑星を2つとも当てた。
posted by orr_dg at 15:39 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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