2018年10月22日

ルイスと不思議の時計/スピルバーグならこう言うね

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オフィシャルサイト

この世界は映画のセットみたいなもんさ!というアンブリン的ジュヴナイルのワンダーとイーライ・ロスのグロスアウトな稚気が思ったよりも正常な食い合わせに仕上がっていて、初の非R指定作品(PG)にも関わらず自身の作家性をスマートにアレンジして窮屈さを感じさせなかったことに少し驚いたのである。予告篇ではルイス(オーウェン・ヴァカーロ)を取り巻くポンコツな魔法使いの叔父ジョナサン(ジャック・ブラック)と切れ者の魔法使いフローレンス(ケイト・ブランシェット)という構図で描かれているけれど、実際にはある過去の傷によってフローレンスもまたポンコツと化していて、けっして声高には叫ばないながら1955年という時代背景およびZimmermanという彼女の姓、そして彼女の手首の数字にその理由は決定的で、敵役アイザック(カイル・マクラクラン)がヨーロッパの戦線で悪魔と契約して手に入れた魔術をナチスが信奉したオカルティズムとしてみれば、この映画が背景にしのばせたメッセージをあらためて言葉にするまでもないだろうし、そうした意味でも由緒正しきアンブリンの映画となっていたように思うのである。したがってそうした物語の展開上、躓いている状態のフローレンスが描かれることになるわけで、最近はと言えば確信と自信に満ちたキャラクターを颯爽と演じることの多いケイト・ブランシェットのシンプルな凹み顔を目にすることができるのもこの映画の妙味といってしまってよいのではなかろうか。つい先日、真夜中にCSで『銀河鉄道999』を見ていて、ああ、と思わず呆けた声を出してしまったのは、第二期ケイト・ブランシェットの端緒といってもいい『ロード・オブ・ザ・リング』でガラドリエルを演じた時の特にフロドとの関係性における既視感というか奥底の記憶が揺らいだその正体がようやくクリアになったからで、それは、あのケイト・ブランシェットにワタシはメーテルを見ていたということに他ならず、今はもうメーテルの衣装に身を包んだケイト・ブランシェットを目にしないうちは死んでも死にきれないとすら思い始めている。
posted by orr_dg at 16:11 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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