2018年10月19日

アンダー・ザ・シルバーレイク/ To Live and Die in L.A.

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オフィシャルサイト

狂った世界で正気を保つためポップカルチャーに身をまかせ、世界の法則を知ったつもりになってみたところで、何のことはないそれはすべて他人が考えたアイディアの尻馬に乗っているだけではないか、俺はそいつらに囲まれたドーナツの穴でしかないのか!とニヒルに堕ちるまでがポップカルチャーであって、そんなことはいまさら百も承知であればこそ、サム(アンドリュー・ガーフィールド)がお気に入りの配置で床に拡げたズリネタこそがポップカルチャーの真の姿なのだ、としたり顔で言ってしまったりもできるわけである。鑑賞後にまとわりつく澱のような倦怠は、この映画がそうしたポップカルチャーの輪廻を140分にダイジェストした曼荼羅であったがゆえの取り付く島のなさによっていて、本来であればフクロウのキス(=自殺)によって曼荼羅の一部となるはずのサムがそれをかわしてヒモ(特別な自分という幻想の喪失)になることでステージを上げるラストに至ってようやく映画的なドラマを匂わせるデヴィッド・ロバート・ミッチェルの食えなさは、『アメリカン・スリープオーバー』『イット・フォローズ』のラストがそうであったように精神的な行方不明者を生み出すことで終わらない明日への不安と不穏を吐瀉物のように郊外の通りへ吐き出していく。死にたくなければヒモになれという暗黒L.A.の処世訓は『サンセット大通り』マナーの愚直にして崇高な遵守であったのは言うまでもない。これまでアンドリュー・ガーフィールドに感じていた違和感は、かつてヒッチコックがアンソニー・パーキンスに見つけたウィアードがそうさせていたことがわかってようやく腑に落ちた。手についたガムがぬちゃ〜っと伸びて取れないようなその笑顔は世界のあらかたから味方を失わせるに十分だろうが、あれが本来のはずである。トレイラーで使用されていたヴァイオレント・ファムズがどこにも聴こえなかったのが少しばかり残念。
posted by orr_dg at 19:05 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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