2018年10月07日

イコライザー2/お前に長寿と繁栄を

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オフィシャルサイト

かつて殺人マシンとしてウェットワークで殺めた数と同じだけ、自分は罪なき人々を救済せねばならないという意味でのequalizeなのではなかろうかと、置かれた本の位置をミリ単位で修正するロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)という男が自らの手で何人の生命を奪ってきたか正確に把握していないわけがないだろうことに思いを至らせた時点で、贖罪に憑かれた男の地獄めぐりという2作目にしてはやや性急とも言えるネタ割りが不意をつくように深々と沁みてきたのであった。前作では世界の法則の調停者として実存的な乾きすらみせたマッコールの、しかし知られざるその虚無には嵐が吹き荒れていることを告げるのがあのハリケーンだったのだろうし、そうした作用反作用的な足かせがイコライザーというポップアイコンから浮力を奪ってしまうことを承知の上でアントン・フークアは古風と言ってもいい落とし前を望んだのだろう。それはおそらくデンゼル・ワシントンという高貴と野卑をエレガントに飼いならす俳優を前にしての避けがたい誘惑でもあったのと同時に、国家のための殺人という灰色の世界に身をやつした男が自らの魂を救うためには、善悪/白黒の二元論にすがるようにして寄り添うしかなかった精神の麻痺と硬直をキャラクターに注入したことへの罪悪感のような薄暗さが、前作の拡大再生産という手管を良しとしなかったように思ったりもしたのである。かといって、鈍重まで重心が沈み込む寸前に切り上げる目配せの巧みもあり過剰なドラマツルギーに窒息する愚からはぎりぎりで逃れていたし、アマチュアからプロフェッショナルにシフトしていく闘いもアクションのインフレに陥ることなく、むしろよりソリッドにかたを付けていく凝縮のリズムがギアを上げて、なんと言ってもスーザン(メリッサ・レオ)による捨て身の反撃が囁いた寄る辺なき世界の哀しく切ない息づかいによって前作のファンタジーはもう必要ないのだと手放した潔さを思い出してみれば、彼女がもたらした一つの幸福と希望によって映画が閉じられることでこの映画があふれさせた血と暴力への清冽でしめやかな鎮魂としたようにも思うのである。構造としては通じるところがある『ジョン・ウィック』が閉塞から解放へと向ったのとは対照的に、一見したところ解放から閉塞へと向ったことでそれが失速に映る部分もあるかもしれないけれど、すべてはマッコールの閉塞した精神のなせる業であったことを明かした今作によって、これもまた閉塞から解放へと向かう物語であったことに気づかされるわけで、それは失速ではなく夢から覚めることで現実の重力に舞い戻ったに過ぎないことを諒解したのである。前作でテリーとかわした結婚指輪をめぐるやりとりを思い出してみれば、マッコールが指輪を右から左へとはめ直すのは彼にとっての喪の仕事が終わったことを告げているのだろうし、してみればワタシたちの知るロバート・マッコールはもういなくなったと考えるべきなのだろう。殺した分だけの人助けはやめないにしてもである。
posted by orr_dg at 15:33 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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