2018年09月09日

アントマン&ワスプ/毎日が君と日曜日

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井之頭五郎言うところの「ほー、いいじゃないか、こういうのでいいんだよ、こういうので」というまさにそんなひとときであった。見えない誰かのために世界を背負うマッチポンプの重荷もなく、善悪問答を肉体言語で繰り広げる自家中毒もなく、ただひたすら妻に会いたい母に会いたい、娘にいいところを見せたい、彼女にいいところを見せたい、とかいう私利私欲のために奔走するだけの面々からは観客に共犯関係を無理強いする浮き世のしがらみは微塵も感じることがなく、前作でエドガー・ライトのリリーフをしたペイトン・リードは、サブテキスト?何それ美味しいの?とひたすらシンボルとメタファーからベタと鉄板を振りかざしながら逃げ続けるのである。しかもあげくの果てに思わず漏らした彼のフェティシズムなのか、ズーム機能が故障して「ザ・ブルード/怒りのメタファー」のアレくらいのサイズになったスコット(ポール・ラッド)が彼からすれば巨女と化したホープ(エヴァンジェリン・リリー)のまわりをミゼットよろしく走り回りその愛らしさに思わず微笑むホープの図など、これはいったい「Theかぼちゃワイン」の実写化ではないか!と『アバター』でくらった酩酊が瞬時に甦ったのだった。今回やたらと口にされる量子世界はおそらく次のアヴェンジャーズの布石となるのだろうし、ということはその突破口を担うであろうシュリはサノスのひとひねりをかわしたのかなとささやかな妄想など可能にしてくれるし、ほとんどテッドやプーのように喋るぬいぐるみと化したマイケル・ペーニャの愛くるしさといったらいっそ彼にもスーツを一着くれてやればいいのに、そして小さくなったペーニャを見てみんな悶絶すればいいのにと妄想してただただひたすら絆されていたのである。操られてはカモメの餌となっていく蟻たちの不憫は相変わらずであったにしろである。モリッシーの愛され方はマリアッチのそれに近いのかもしれない。陽気で哀しい死の歌うたい。
posted by orr_dg at 14:05 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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