2018年08月29日

タリーと私の秘密の時間/胸いっぱいのお乳を

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ともすれば品よく腰が引けるジェイソン・ライトマンと、ともすれば胸ぐらつかんで落とし前を欲しがるディアブロ・コディが組んだからといって、足して2で割った平均と中庸に落ち着くことがないのが映画の面白いところで、しかも今回産み落とされたのがカラフルでヴィヴィッドに迫りくる『ババドック』であったとなればそれも一入だったのである。まだまだ手のかかる子供を2人、しかもそのうち1人が世界に中指を立てっぱなしなところに加えて臨月のお腹を抱える母親の日常がどれだけニューロティックなサスペンスに満ちているか、その臨界点でマーロ(シャーリーズ・セロン)の前に現れるタリー(マッケンジー・デイヴィス)のあけすけな距離の詰め方に観ているこちらは若干の訝しさなど抱くも、マーロはその踏み込みに身を委ねることで束の間寛解するのだけれど、ここでディアブロ・コディはタリーをすべての切羽づまった母親たちのイドの怪物としてファンタジーにとどめるというよりは、マーロがケリをつけるべきオルターエゴと描くのである。夜明けの光が見たければまずはその目を開けな!という叱咤はディアブロ・コディのシナリオに通底する突きつけなのは言うまでもなく、マーロとてその例外としないのは、次男ジョナ(アッシャー・マイルズ・フォーリカ)の世話にかまけて長女サラ(リア・フランクランド)をほとんど顧みないことへの責任を問うているからであるようにも思われて、それは寛解中の彼女がカラオケで突然デュエットを始めた時にサラが浮かべた戸惑うような喜びやけなげに母親をシャンプーするその手つきにもサラの孤絶が見てとれるわけで、明日目覚めたら成長した子供はもう今日とは別の生き物なのよというタリーの言葉がどこからやってくるのかを思い直してみた時、その罪深さがいっそう沁みてくるように思うのである。もう少し妄想してみると、タリーすなわちマーロが吐露する男関係によるルームメイトとのトラブル話など思い返してみれば、そうした日々の中で生まれたであろうサラは果たしてマーロにとって心の底から望んだ子であったのか、折々で見せるサラの哀しげな表情がいっそう切なく頭をよぎるのである。とは言え夜明けの光をまわりでさえぎる者たちを刺すように追いつめるのもディアブロ・コディの独壇場なわけで、ここでは一見したところ理解ある夫を演じるドリュー(ロン・リビングストン)が真夜中にTVゲームを欠かさないその姿の、ヘッドフォンで音は出さないよと言いたげに没頭するあまり、コントローラーが立てる終始のカチャカチャカチャカチャが隣で眠るマーロにどれだけ耳障りであるかに思いが至らないその鈍感さを執拗に描いては、実はこういう類がいちばんタチが悪いとばかり彼の株をじりじりと下げていくのである。そんなこんなで、殴ってでもここから連れ出すというディアブロ・コディとそれを泣き笑いに歪んだ顔で見ているジェイソン・ライトマンというコンビの、互いの過剰をなだめ欠落をおぎなうことで新しい考えを生み出すマジックに今回もあっさり化かされた始末で、あなたはWeirdに、というコンビの意向を汲んだであろうマッケンジー・デイヴィスが時折見せる人間からはうっすらと離れた角度がそれを助長して心の奥がすぅっとざわめいた。
posted by orr_dg at 17:09 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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