2018年08月27日

検察側の罪人/家に帰ると妻が必ず胡弓を弾いています。

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オフィシャルサイト

最上(木村拓哉)も沖野(二宮和也)もそれが人生の手続きでもあるかのように一線を越えて善悪問答を無効化していくわけで、極めて即物的なカットを乱れ打ちしながら、現在の社会を覆う漠とした不安と不快を観念のモザイクとして組み上げていく監督の、ジャニーズのトップを据えた東宝メジャー作品でこんな風なヤリ逃げに近いジャーナルを撮ったことの快哉は叫ばれてしかるべきだろう。原作を読んでいないのでこの脚色が何を得て何を失ったのかわからないけれど、インパール作戦から連綿と続く無責任と傲慢の精神構造を押し頂く巨悪のシステムを倒すための通過儀礼として卑悪の抹殺を利用するあたり、かなり無茶をしたのだろうことは省略と拡張のリズムがあちこちで軋んでいる気配にうかがえはするものの、その違和感をこそ観客それぞれのきっかけとすることを望んだように思うのである。と言った具合に自分のケツを拭くことに忙しい2人のバランサー、あるいはワイルドカードを切りまくるジョーカーとして登場する諏訪部(松重豊)というキャラクターの映画的な発明が効果的で、まずは最上をヴィジランテとして仕上げることを己の役目と課してメフィストフェレスの囁きでアメとムチを使い分けるその佇まいがこの映画にマジックリアリズム的な浮遊を与えているわけで、目論見通り仕上がった最上が沖野を手中に収めるラストには諏訪部のにんまりとした笑顔が透けて見えた気もしたのである。となれば本当のお楽しみはこの3人に橘(吉高由里子)を加えた4人が丹野メモをもとに巨悪のシステムを転覆させる非合法活動なわけで、そんな風に永遠に撮られることのない続篇を夢想する愉しみがこの映画には確かにあったし、それはすなわち、そろそろ日本でもそういう娯楽映画を撮ったっていいんだぜという監督の手招きなのではなかったか。木村拓哉については、かつてトム・クルーズがかっこいいことはなんてかっこ悪いんだろうと悟ったあとで、かっこ悪いならそれを笑ってもらえばいいじゃないかと更にかっこいいことを突き抜けてみせたそちらにようやく歩を進めたようにも見えて、そうそう誰にでも与えられているわけではないその特権を行使するタイミングとしては絶妙だったように思うのである。最上の家庭内設定(有閑な年上の妻!)など、もうそれだけですこぶるスリリングといえよう。
posted by orr_dg at 15:55 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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