2018年08月22日

カメラを止めるな!/うそがほんとになりますように

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オフィシャルサイト

そこに身を置いたことはないからそれは妄想やファンタジーのなせる業に過ぎないのだけれど、ある種の映画を観た時に映画の撮影現場に対する憧憬や敬意のような無垢の感情がふわっと立ち上がったりもするわけで、なによりこの映画はその点において針が振れたように思うのである。アメとムチで感情をこじあけては現場処理のきらめきを血眼で探し、それを見つけたりなくしたりする右往左往は瞬間的に生死の問題ですらあり、そんな風にしてシクシク泣いたり笑いを噛み殺したりしながら転げ回っているにつれ世俗の屈託は削ぎ落とされて、最後の最後にC調(死語か)のプロデューサーまでがどれだけ清々しい笑顔を見せたことか、そこにあったのは映画が厳然として持つ「浄化」の力そのものだった気がしたし、たとえネタバレをしたところでなかなかその魅力を伝えることが叶わないこの映画が寡黙な集団ヒステリーを誘い続けているのも、ともすれば正気を失った報せばかりが繰り返される日々をサヴァイヴする人々によるシンクロニシティにさえ思えたのだ。先般、映画を撮った人たちに突然叫んでしまった彼も、おそらくは映画を観た後で自分があの場で浄化されなかったことのメランコリーに囚われたがゆえのちょっとした錯乱だったのではなかろうか。娘の写真を台本に貼りつけて禁酒を誓った細田(細井学)にならって、ある写真を台本に貼りつけた日暮監督(濱津隆之)の想いが最後にはどこへどんな風に届いたか、それを映画の背骨に埋め込んだ時点でこの泣き笑いのスラップスティックは上田監督が紡いだ物語になったのだろうとワタシは考える。冒頭のオンエア版で流れるふぬけたジョン・カーペンターみたいな劇伴や地面に転がった食人族カメラもニヤニヤと愉しく、酒が抜けたあとで見せる細田ゾンビの意味不明なキレも忘れがたい。
posted by orr_dg at 16:04 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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