2018年08月15日

インクレディブル・ファミリー/つよくて大きいアメリカの赤ちゃん

IMG_2071.JPG
オフィシャルサイト

※内容にふれています

MCUで苛烈なまでに稼ぎまくるディズニーへヒーローなんぼのもんじゃいと立てた中指のみならず、あげくの果てにはスクリーンを捨てよ町へ出ようとアジりまくるスクリーンスレイヴァー=イヴリン(キャスリーン・キーナー)が鏡像的に反射するヴィランだったこともあって、そういうお前はどうなんだ、かく言う自分はどうなんだとブーメランが飛びかっているうちに雨降って地固まった世界の水平性を見晴らす視点はブラッド・バードが自身に課したリセットでもあったのだろうし、ジョン・ラセターの名前をクレジットロールに見つけた瞬間にその仕掛けが完成するという皮肉というよりは必然こそをこの作品が求めたということになるのだろう。ヒーローとはそもそもがマイナスをゼロに戻すための存在であって、果てなきプラスを幻想する人々とそれを否定しないヒーローたちに向けられるイヴリンの敵意と嫌悪が正気の沙汰であるのは言うまでもないし、その代表者とも言えるイヴリンの兄ウィンストン(ボブ・オデンカーク)のまとう無邪気な危うさは、実の妹が自分を裏切るヴィランであったことを知ってなお一顧だにしないラストの笑顔に象徴的で、実は彼こそが潜在的なヴィランであった気すらしてしまうのである。ヘレン=イラスティガールを初めて目の前にしたヴォイド(ソフィア・ブッシュ)が思わず口にしたヒーロー=異能者としてのX-MEN的な疎外感に、今回はそこへも踏み込むのかと期待と危惧が半々でいたのだけれど、結局は祝福されるスーパーパワーの象徴としてのジャック=ジャック(イーライ・フシール)の活躍がすべてをかき消してしまうことになるわけで、イヴリンとヴォイドの共闘に光と影の屈託が感応したわけでもなかったのは少しばかりもったいないなあと思ってしまった。各自がエゴを剥き出しにするパー家にあって、弟にして長男という板ばさみにもかかわらず、せいぜいがやんちゃ程度でぐれることもなく家族の下支えとして文字通り奔走するダッシュ(ハック・ミルナー)が巧妙なシナリオの発明となっていて、ワタシがヴィランなら真っ先にダッシュを無効化したにちがいないのであった。エンドクレジットシーンでなくゴージャスでファンキーでソウルフルなエンドクレジットソングだったのは思いがけないカーテンコールでちょっと新しいスタイルに耳からうろこ。
posted by orr_dg at 16:48 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: