2018年08月08日

ミッション:インポッシブル フォールアウト/世界を救うまで待っててベイビー

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オフィシャルサイト

劇中で2度あった夢オチから抜け出せないまま、夢から覚める夢を見たとでもいうふわふわと足元の定まらないステップが、イーサン・ハント(トム・クルーズ)の薄ぼんやりとした寝起きのような頬のラインと相まって、なんだかワタシは夢とうつつの間でまどろむイーサンのレム睡眠を覗き込んでいる気がずっとしていたのである。これまでは状況の表面張力が限界となった瞬間、解き放たれるように飛びだし走り出していたアクションが、ここでは自分が再び眠って夢の中に堕ちてしまわないよう自分で自分の頬を張り続けるための作業であったようにも思え、爽快や痛快というよりはマイナスをゼロに戻す徒労をひたすら見守る閉塞に締めつけられる気もして、それは冒頭のベルリンにおける失策に端を発する敗戦処理の気分がこの映画を支配し続けるのと同時に、イーサン・ハントという稀代のエージェントに忍び寄るミッドライフクライシスにも似た精神の倦怠と沈澱との闘いがさらに拍車をかけていたように思うのである。ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)の「彼は仕える相手にあれだけ何度も何度も裏切られてきた」という言葉が告げるように、抉るような裏切りがイーサンの動機と激情をキックし続けてきたことは言うまでもなく、その結果として生まれたのが狂気のノブレス・オブリージュ・マシンとしてのイーサン・ハントであったわけだし、ラストで3度めの夢から醒めるかのように目覚めたイーサンがジュリア(ミシェル・モナハン)に向って「許してくれ、すべてのことを許してくれ」と言う時、それはマシンであった自分の否定とそれが導く新たな人間宣言であったように思うのである。前作でイルサ(レベッカ・ファーガソン)をイーサンの鏡像とすることでローグ・ネイションの住人としてのメランコリーを投影してみせたように、今作ではウォーカーをその役にあてることでマシンvsビーストの構図によるスイングを狙ったのだろうけれど、存在自体がマクガフィンと化したソロモン・レーン(ショーン・ハリス)のまるで緊張感を欠いた介入もあってウォーカーが血の通ったキャラクターというよりはスマートなジョーズ(リチャード・キール)にしか映らなかった失敗は、やはり今作がイーサン・ハントのセルフ・カウンセリングに終始したことの功罪に依っているのは間違いがないところだろう。しかし、暴走するノブレス・オブリージュ・マシンとしてのイーサン・ハントを崇拝してきたワタシのような人間にしてみれば、人間宣言をしたイーサン・ハントが今後も常軌を逸したカリスマを保ち続けることが果たして可能なのか、出たとこ勝負で仕上げた(ように映る)今作のツケは存外に大きいものであった気がしてならないのである。ワタシが観たいのは躊躇なくヘリからパイロットを放り出して転落死させる洗練された合理的な運動としてのイーサン・ハントなのだけれど。
posted by orr_dg at 22:41 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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