2018年05月26日

レザーフェイス―悪魔のいけにえ/ジェド・ソーヤーのぼうけん

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オフィシャルサイト

※一応言っておくとネタバレ気味

基本的には訊かれてもいないことを答えたがるのがプリクエルであることに違いないし、そりゃソーヤー家に生まれ堕ちたならババ=ジェディダイアがああなったところで仕方がないわな、とすでに呑み込んでいる大方へのおせっかいであるのは承知ながら、状況の犠牲者という若干の感傷はしのばせつつも、トリヴィア的には彼の被るマスクは誰の人皮であったのかというその程度にとどめた点で、負け戦にも関わらずヤケを起こさなかったモーリー&バスティロの自制心は称賛されるべきだと思うし、トビー・フーパーのラストクレジットとしてその敬意が損なわれることもなかったように思うのである。構造としてはハートマン保安官(スティーヴン・ドーフ)とソーヤー家の十年戦争として展開されるのだけれど、ソーヤー家を蛇蝎のごとく嫌悪するハートマンを一家の不倶戴天の敵とするには因縁を業に書き換える手続きがいささか弱いように思われて、確かに彼の娘は一家によって惨殺されるのだけれど、一家の主たるヴァーナ(リリ・テイラー)とジェッドのそれに比べてみた時、ハートマンと娘との親子関係がまったく描かれていないこともあり、彼女の死が単なるモブのオープニングヒットとしてカウントされるに過ぎない気がしてしまうせいでハートマンまでが記号の域を出ないように思えてしまうのだ。このあたりについては、これまで監督作では必ず自ら脚本をしたためていたこのコンビが、今作では他人の脚本で撮らなければならなかった事情がマイナス要因となっているのだろう。しかし、ジェッド(サム・ストライク)に若き日のブラッド・ダリフの横顔が映し出される精神病院のパートでは『カッコーの巣の上で(1975年)』的な精神の牢屋を、その後は掃き溜めヴァージョンによるどん詰まりの『地獄の逃避行(1973年)』を、と言った具合に『悪魔のいけにえ(1974年)』の精神背景に寄り添おうと監督コンビは懸命かつ真摯に参照をつとめるわけで、そのことがもたらすいささかの散漫や冗長を認めつつも、そうしたことの貢献によって今作からチープなノヴェルティ感が取り除かれていたことは記しておくべきだろう。そして、どうやら今作のハートマンは『飛びだす 悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲』に登場するハートマン町長の父にあたるらしく、してみると『飛びだす〜』においてなぜあれほどハートマン一家がソーヤー一家に憎悪の炎を燃やしたのか、ここに来ていきなり辻褄が合うことになるわけで、当時そのことで思い悩んだ記憶など一切ないにしろ、せっかくの後出しジャンケンなのだから勝てる勝負を勝ちに行く姿勢には素直に拍手を送りたい。いかにも首だけ出してます!的な特殊メイク愛の手ざわりが溢れるハートマンの最期にも点が甘くなる。
posted by orr_dg at 01:32 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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