2018年04月22日

女は二度決断する/海へ往く

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おそらくあの鳥も死ぬことになるのだろうと、そのイメージが頭に浮かんだ瞬間、カティヤ(ダイアン・クルーガー)はいったん復讐の憎悪を正気の鞘に収めるのだけれど、憎しみの連鎖を絶ちきるという説諭の気分を目的とするならば、ここで仄明るくも曖昧な余韻と共に目を伏せる手もあったはずである。したがってそこから先で起きることはカティヤにのみ有効で普遍性のない私闘の産物であって、事件のショックでしばらく止まっていた生理が突然来たことに虚を突かれ、身体が自らを修復して立ち直るように、いつしかその記憶と感情が自らを修復してヌーリとロッコを忘れてしまうことに恐怖したカティヤが、ならば今この記憶と感情のまま消えてしまえばいいのではないか、とまず思い立つことになる。そもそもが監督は巧妙なずらし方をしていて、カティヤは夫と子供を殺したのがネオナチだから復讐を決意したわけではなく、仮に相手がマフィアだったとしても何らかの行動に出ていただろうことは劇中の彼女を知れば知るほど想像がつくわけで、レイシズムに関していえばトルコ系移民である夫とその家族に対するカティヤの母親の視線は刑事が抱く予見という偏見につながっているし、家族3人の幸福を築き上げるにおいて彼女がとっくにレイシズムと闘っていたことは言うまでもない。それがトルコ系移民の両親を持つファティ・アキン監督がレイシズムに対して抱く極めてリアルな記憶と感覚であることを思えば、その絶望的な異議申し立てがネオナチという醜悪で唾棄すべき存在によって矮小化されてしまうことへの拒絶こそが、カティヤに最後の決意をさせたように思うのだ。私はネオナチだけが憎いのではない、彼らが存在することを許す世界を憎悪しているのだ、だから私を知るすべての人間の悪夢となるべく、私は最悪の方法を選ぶことにする、いつか忘れ去られるとしても、一分一秒でも長くその悪夢が続くよう、最悪の方法を選ぶことにする、しかも私は最愛の家族の記憶に全身を満たされたまま消えていくことができるのだ、あなたたちの悪夢が今の私にとってのハッピーエンドなのだ、バイバイ、というモノローグを、キャンピングカーに向かう歩みへのヴォイスオーヴァーとしてワタシは再生してみる。幸福と絶望と諦念と執念、と四方に裂かれ続ける感情を哀しいほど誠実かつ精緻に刻みつけたダイアン・クルーガーの表情が今もって忘れられない。『追想』を悪意の時代にアップデートした祈るような傑作。
posted by orr_dg at 15:18 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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