2017年03月16日

お嬢さん/アイ・ワズ・メイド・フォー・ラヴィン・ユー・ベイビー

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オフィシャルサイト

ミイラ取りがミイラになる話を誰も見間違えることのないよう、表地(第1部)と裏地(第2部)を丹念に見せた後で、ではそれを合わせてみた時に(第3部)いったいそこにはどんな模様が映し出されるでしょう?という謎かけそれ自体は『コクソン』とは対照的に明快すぎると言ってもいいくらいで、いわゆるコンゲーム的な妙味はあくまで借り物程度に留められている。その仕掛けと仕組みからすれば当然のこととして非常に芝居がかった第1部に比べ、まるまるをサブテキストにあてた第2部がこの映画の心臓といってもいいわけで、植民地と階級および性差というがんじがらめの支配構造の中で自由を手にするための機会を手に入れた2人が、愛と憎しみの使い方を生まれて初めて知ることで一発逆転の大勝負に出る姿の躍動と発熱にフレームがゆがむ瞬間こそがこの映画のピークなのは間違いないように思う。そして最後に塀を越える瞬間、スッキ(キム・テリ)はトランクを並べて秀子(キム・ミニ)に最後のひと押しをしてやるのだけれど、一度そこを越えて走り出した2人にもはやお嬢様と小間使いの関係などあるはずもなく、ラストで据えられる美しいシンメトリーこそが、この映画が2時間半をかけて映し出そうとした代替え不能な自由の意匠なのだろう。ただ、表と裏を見せつける機会を与えられた秀子、スッキ、藤原伯爵(ハ・ジョンウ)に比べると、悪の権化としての上月(チョ・ジヌン)は最後まで記号化された変態としての域を出ないままで、あれだけの道具立てと舞台仕立てを幻視し作り上げた男にしては、伯爵に秀子の痴態を描写するようせがむ場面での、フェティシズムの欠片もないただ突っ込みたいだけのオヤジでしかない薄っぺらさに(これは字幕の問題であって、ネイティブには響いたのかもしれないけれど)少々興ざめしたのである。この映画における第1部にとどまった(というかとどめられた)『イノセント・ガーデン』への会心にしてオーヴァーキルな返り討ち。それにしても、いったい今までどこにいたんだ、キム・テリ。
posted by orr_dg at 19:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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