2017年02月16日

マリアンヌ/わたしの名は。

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あの夜マックス(ブラッド・ピット)がベッドで読んでいたのが「ブライトン・ロック」だったことで、ああスティーヴン・ナイトが持ち込みたかったのはピンキーとローズが踏み抜いた薄氷の物語なのだなあと理解したし、ならばエピローグにおけるマリアンヌ(マリオン・コティヤール)からの手紙はピンキーのレコードとなるわけか、とさすがにハリウッド的大団円がグリーンのカトリック的ペシミズムなど受け入れるはずがないにしろ、この映画の偏平さを呼んだのがそうしたスティーヴン・ナイト成分のスポイルだったのではなかろうかと勘ぐるには十分だったのである。となるとピンキーとローズの関係はマリアンヌがピンキーとなる逆転が必要となり、すなわち主役はマリアンヌになるわけで命がけの打算と計算によってマックスを夫とするストーリーが次第に変奏していかなければならないのだけれど、戦時下の悲恋ものの“戦時下という側(がわ)”に夢中になった絵描きとしてのゼメキスにとってそれらは必要のない余白だったのだろう。オープニングからして既にこれが絢爛たるはりぼての世界で綴られる物語であることが謳われて、ゼメキスが要求するのはあくまでデザインされた感情の質感なのだけれど、そうした中にあってマリオン・コティヤールは不定型という感情すらを精緻にしたためて、それは彼女のフィルモグラフィーを見れば瞭然なように幾多の修羅場をくぐってきたことで最適化された切り札によっているのは言うまでもなく、そうしてみた時、明らかに役者としての場数がここ数年足りていないブラッド・ピットは正直言ってでくにすら映るわけで、本来がノンメソッドでミニマルな演技で切り抜けてきた彼の地肩の弱さがマリオン・コティヤールに圧倒されてしまうなかなかに残酷な瞬間を目撃することになったのである。マシュー・グードの扱いからして、皆がマリオンにかしずく映画であるのは間違いないにしろである。したがって、邦題はたいへんに正しい。
posted by orr_dg at 16:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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