2017年02月05日

マギーズ・プラン/しくじるなよ、マギー

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オフィシャルサイト

出だしというかきっかけは「ガープの世界」あたりを思わせるのだけれど、マギー(グレタ・ガーウィグ)のそれはフェミニズム的な変奏というよりは、男性と継続的なパートナーシップを築けない事情による非常手段であって、ではなぜマギーはいつもそうなってしまうのか皆さんにお見せしましょうというお話の、その余禄または必然としてマギーに転ばされるスノッブたちのドタバタを笑うことになるわけで、観賞前は贅沢にもジュリアン・ムーアとイーサン・ホークを配したマンブルコア的な展開を思っていたのだけれど、手ざわりとしてはどちらかといえばシットコム的に記号化された配置に近い。いかにもなNYスノッブのジョーゼット(ジュリアン・ムーア)とジョン(イーサン・ホーク)がからかいと笑いの対象となるからと言ってマギーが正解者であるかというとまったくそういうわけでもなく、みんな一人一人がそれぞれのシャボン玉の中に入って生きてるのよ、と愛娘に語りかけるマギーは、でもあなたはお母さんと一緒のシャボン玉の中にいるけどねとは言わないわけで、それを都市生活者の透明で密やかな孤独として染めてしまわないためにわざわざマギーにクエーカー教徒(それぞれに内なる光を求めよ)の設定を与えているし、シングルマザーであった母との生活を想い出して懐かしさに涙ぐむあたり、彼女は自身の生活においてそれを再現しようとしているだけなのかもしれないという考えが頭をよぎった瞬間、実はマギーの闇が一番深くて厄介なのではなかろうかと笑いの質が少しばかり変わったように思えたし、したがって、新しい計画を思いついてほころんだマギーの顔で締めるラストも、ハッピーエンドというよりはどちらかといえば新たな犠牲者ガイ(トラヴィス・フィメル)への同情にも似た作り笑いで見送ってしまうのである。それにしてもである。ジョーゼットに、あなたは純粋だけれどもちょっとバカよねと一刀両断されるがごとく、総身に知恵がまわりかねるかのように曖昧な時間差で動き生きるマギーを演じるグレタ・ガーウィグの、これはほとんど彼女のアテ書きだろうというナチュラルな憑依はさすがにジュリアン・ムーアとイーサン・ホークを刺身のつまとするだけのことはある、その磨きのかかった無垢と無意識のコメディエンヌっぷりに一人遊びをする犬を見るような慈しみが自然にと湧いてきてしまうのは、今後果たして彼女のレッテルと枷になってしまわないのかどうなのか。所詮「ダンシン・イン・ザ・ダーク」を歌い踊る夫婦だもの、お里が知れるわと「ルーディたちへのメッセージ」のダンディ・リヴィングストン版オリジナルでマギーを一人踊らせるレベッカ・ミラーのたちも相当に悪い。
posted by orr_dg at 03:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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