2016年07月16日

疑惑のチャンピオン/ジェシーよ銃をとれ

the_program_01.jpg
オフィシャルサイト

フロイド・ランディス役のジェシー・プレモンスが『ブラック・スキャンダル』につづき無心の共犯者を演じていて、その無心ゆえに主犯者を告発することになる運命や共に実在の人物に準拠する物語である点など構造は非常に似通っている。そしてまた、その無心を罪に染めることでしか示せない忠誠が尽きた時、我が身の明日なき虚ろを知った青春の捨て身が主人の大罪と刺し違える復讐と浄化の物語を待ち望みつつ、それがついに果たされることのなかった悔いこそが作品の印象となってしまう点でも似通ってしまったように思うのである。ジョニー・デップがそうであったようにここでのベン・フォスターも、ランス・アームストロングはそうしたのだろう、あるいはランス・アームストロングならそうしたのだろうというその輪郭を超える解釈を目的としなかったこともあり、共感にしろ拒絶にしろの奥行きに欠けるのは否めないところで、だからこそ並走する共犯者としてのジェシー・プレモンスが口寄せしたザ・ライズ・アンド・フォール・オブ・ランス・アームストロングを観てみたかったと思ってしまうわけで、『フォックスキャッチャー』が図抜けていたのはチャニング・テイタムとマーク・ラファロを口寄せとすることでスティーヴ・カレルの異形の輪郭を口述していたからなのは言うまでもない。ランスについてはガンとの闘病の如何にかかわらずどのみちドーピングに突き進んでいったであろうことを疑いなく描いていて、いつしか肉体的なトレーニングと分かちがたく融合していくドーピングのプログラムそれ自体に人生を捧げるかのような手段と目的の逆転はある種のアディクトにも思えるほどで、鬼気迫るその姿の奥底に潜むものの正体がほんの一瞬あらわになるのが、カムバック後の現実を突きつけられ“3位だってよ”と自嘲気味に笑うシーンで、第四の壁気味にこちらを見据えて笑うと言うよりは崩れるように変形する顔の異様はほとんどホラーであって、スーパースターの栄光と引き換えに餌を与えてきたモンスターにその内部を喰い尽くされていることを断罪した怖ろしいカットであったとしかいいようがない。とはいえそれ以外は良く言えばジャーナリスティック、言い換えれば分別くさい視線のままなものだから、前述したフロイド・ランディスが介入する時のモンスターとすれ違う危うさが宝の持ち腐れに思えてしまうのは仕方のない事だし、もはや人外と言ってもいいあの笑顔を観たあとではいっそピカレスク仕立てでもよかったのではないかとすら思ってしまっている。どうせ射殺されるのであれば好きなだけ暴れさせてやればよいではないか。マット・デイモンがいる限り永遠の共犯者でありつづけるジェシー・プレモンスを当てはめたように、それを気兼ねなくするためのベン・フォスターではなかったのか。
posted by orr_dg at 02:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。