2015年08月28日

ブラック・シー/いっかい沈めたろか

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オフィシャルサイト

たとえばこれを戦時下の物語とするならな、終戦のどさくさに紛れた『戦略大作戦』ミーツ『恐怖の報酬』的な仕掛けをはりめぐらせることができたのだろうけれど、結局はロビンソン(ジュード・ロウ)という結婚と家庭を失った男の自爆するセンチメントをめぐる話に終始することでいつしか金塊はマクガフィンと化し、企業の罠に堕ちた乗組員たちとダニエルズ(スクート・マクネイリー)の関係および、現実での喪失を代替えするかのようなトビン(ボビー・スコフィールド)に対することさらな父性など、何やら『エイリアン』(どちらかというと『エイリアン2』)ような人間関係の収束を目指してしまっていたのである。ただ問題なのはその人間関係にクロスするエイリアン(敵)が登場しないことで、そのサスペンスを生むために乗組員を英露に分けて対立させてみたり、当然のごとく潜水艦の圧迫と閉塞をちらつかせるのだけれど、結局エイリアンはロビンソンだったという計算外のオチに至るまでの混乱がそれらを曖昧で平板にしてしまい、ワタシは淡々とページをめくってその手続きを右から左へ確認するにとどまってしまった気がするのである。その混乱、というと良し悪しがあるから混雑か、の一端としてサスペンスを重ねるためのキャラクターの切り売りがバランスを欠いていて、たとえばフレイザー(ベン・メンデルスゾーン、ちなみにビジュアルイメージはキース・リチャーズ)の場合、チームワークとしては致命的な殺人を犯させておきながら、それがその後の行動に何ら影響を与えない(Uボートに向かうシーンでは、チームにトビンが含まれたのはフレイザーが口減らしにトビンの命を奪おうとするサスペンス発生のためだと思って観ていた)となると経過する時間がキャラクターに累積していかない気がするのである。そして何より頻出するロビンソンのフラッシュバックがサスペンスの興を削いでいたのが肝心なところで乗りきれない大きな理由だった気もして、業火に燃やされるメランコリーよりは彼岸にまどろむ感傷を望んだのであればワタシは何も言う気はないけれど、この監督とこのキャストにしてはいささか物分かりが良すぎたのではないかと悔いは残るのである。ただそれはフィクションに転向して以降『消されたヘッドライン』以外コンビを組んできた脚本家ジェレミー・ブロックの不在による気もして、となるとこの監督はどちらかと言うとアルティザンタイプであるのかと、その題材選びの振れ幅が目立つだけで作家性は曖昧なマイケル・ウィンターボトムのサイドに堕ちてしまわなければいいなあと少しだけ危惧している。
posted by orr_dg at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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