2014年10月23日

誰よりも狙われた男/日はのぼり、世界は平らになった

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オフィシャルサイト

半開きの口から絞った吐息を漏らして、笑っているのか泣いてしまいそうなのか曖昧にごまかしながら汚れ仕事につかってきた白くて太った妖精が、俺がどうしてこんなに腹をでっぷりとさせたまま酒も煙草もやめないでいるのかその理由を教えてやろうか。それは我が身を振り返ってチューニングする余裕なんかこれっぽっちもないくらいただ生きるだけで手いっぱいだからだよ、とまるでその創作の陽の差さぬ源を明かしたとしか思えないのは、この映画がそのことを伝える美しい手紙となる予感を抱いていたからなのではなかろうか。それは既にワタシが妖精の運命を知ってしまっているからこその予見に他ならないとしてでもある。これまでの作品を観るかぎり、世界に実在することを請う人がそれに失敗していく姿への憧憬(と書いてみるとそれはもろにポストパンクの気分なのだけれど)をダンディズムの諦念でとらえることに耽溺する人かと思われたアントン・コービンが、ここでは世界がその箱庭を蹴散らす瞬間にフォーカスすることで、楽園の終わりとそこからの追放というメランコリーの流血に目を逸らすことなく挑んでいる。一見したところギュンター・バッハマン(フィリップ・シーモア・ホフマン)はエスピオナージュの合理に葬られたように映るけれど、すべての登場人物はその合理を直情で覆うことでバッハマンに相対するよう仕向けられていて、ディーター・モア(ライナー・ボック)の官僚主義を罵倒し、CIA局員マーサ・サリヴァン(ロビン・ライト)にはこれがあんたらのやり方だろうと暴力を見せつけ、内務大臣にすら面と向かって皮肉で揶揄してみせるバッハマンは、イルナ・フライ(ニーナ・ホス)に「わたしたち少し無理をしすぎなんじゃないかしら」と危惧されるくらい、らしからぬ姿に映っていたのかもしれず、そうやって感情の乱戦に持ち込むことで合理を突き崩そうとしたバッハマンは、サリヴァンが告げたある事実によってこれが自身にとっての愛と理想をめぐる最終闘争に変質していくことを認めざるを得ず、それはジャマール(マハディ・ザハビ)やアナベル・リヒター(レイチェル・マクアダムス)をコントロールする甘言がいつしか真実の言葉につかまり始めたことからもうかがえて、決行前夜、ひとりきりの夜を酒と煙草とピアノでやり過ごすバッハマンが既に敗者の倦怠につつまれているかのようであるのは、自分を信じた者たちが血の海に沈んでいく悪夢を幾度繰り返せば勝者になれるのか、それは自分が手放せずにいる人間の合理=理性を悪魔に売り渡さない限り叶うことがないのではないか、と自身に問いかける幾多の夜に苛まれ過ぎてきたせいであるのだろうし、その数時間後に血管もブチ切れんばかりに叫んだ Fuck! Fuck! がサリヴァンでもモアでもなく自身を蝕み続けるそれら悪夢に向けられていたように思えるのは、バッハマンは失敗させられたのではなく彼もまた失敗した人なのだというその寄せ方において、やはり自分も失敗の季節を通してしか世界の実感がつかめないのだという手の内をアントン・コービンが初めて晒したことに因っているのだろうことが、GANG OF FOUR、D.A.F.、TOM WAITSといった自身のMIXテープのようなインサート・トラックからもうかがえるのである。おそらくこの映画は、その分かち難い背景のせいで作品の純粋な評価がなされることは不可能に思えるけれど、だからといってこの映画が不幸を背負っているようにはまるで思えないのは、フィリップ・シーモア・ホフマンが最後に主演作として選んだのがこの映画であったという出会いの幸福がそれを爽快に負かしているからで、あのラストを観ることでようやく彼の不在を受け入れることができたことを思うと、別れ際が『ハンガーゲーム』でなくて本当に良かったとただそれだけでうれし泣きしそうである。

と書き連ねたらやっと楽になったので以下雑記。
パンフを読んだら、柳下さんが“ル=カレはもともと<スマイリー三部作>を映画化するなら主役はホフマンと思い定めていたのだという”と書いていて意外だったのだけれど、ノーブルといくばくかのデカダンスを併せ持つという意味ではなんとなくわからないでもないにしろ、エスピオナージュをやるならスマイリーというよりはハービー・クルーガーなんだけどなと思った。イッサとアナベルを見失うシーンは、バックアップのチームが用意されていないのにちょっと驚いて、こういう脇の甘さはバックマンの切れ味を削ぐことになると思うんだけど原作通りなんだろうか。アブドゥラ邸に乗りつけたトミー・ブルー(ウィレム・デフォー)のベンツのボンネットに街路樹の影が映るショットの作り込みは、監督が欲したのかどうかはともかくすべてがコントロールされていることをさりげなくリークしてみせてさすが。その青白さと青黒さの配合がヨーロッパの憂鬱をつけまわしたカメラのブノワ・ドゥロームは、『青いパパイヤの香り』『シクロ』『猫が行方不明』『青い夢の女』『プロポジション』といった完全にこちら界隈の人。ところで結局のところ表記はコービンのままでいいの?それともコルバイン?
posted by orr_dg at 01:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは(ぺこり)。


昨日、観て来ました!

<白くて太った妖精>

おそらく、今までで一番、体重が増えていたんじゃないでしょうか。。
わたしも顔色の白さが気になりました。皮膚なんかカサカサに乾いてるみたいで…。
フィリップ・シーモア・ホフマンが妖精なら、シュヴァルツヴァルトにでも隠れ住んでいてくれてるのならいいのですが。

ラスト、車のフロントガラスの向こう(向かって右手)に消えていく彼の姿を、一生忘れないと思います。
Posted by mina at 2014年10月26日 12:21
minaさん、こんにちわ

あまりに綺麗で儚く完結したお別れだったので、これから公開される「ハンガー・ゲーム」はもう観ないことにしました。
Posted by オア at 2014年10月27日 13:40
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