2014年04月08日

ウォルト・ディズニーの約束/夢を狩る人

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想像力に父を奪われた娘と想像力を父に奪われかけた息子が、創り手はその想像力において人生を救うことができるし、何度だってそれを希望で満たすことができると語り合うシーンの苦渋に満ちた誠実さが映画をウォルト(トム・ハンクス)の総取りにしていたきらいはあるものの、彼がADHDだったことの正面切った描写や、P.L.トラヴァース(エマ・トンプソン)が抱える創作の源泉がファザーコンプレックスであったことなど、両者が存命だったら成立しえない舞台裏の再現としては思っていたよりも奥行きのある物語になっていたし、脇にまわって裏側を必要としない時のポール・ジアマッティが見せる痒いところに手のとどく絶妙なクッション感も含め、脱線のささくれで突き刺すことをしないウェルメイドの安寧と、それを退屈から切り離すための執拗なフラッシュバックによる揺さぶり(父親役のコリン・ファレルが泣き顔で好演)に、エマ・トンプソン(1959年生)の不感症的演技が役得といえるほどフィットしていて笑ってしまうほどであったのだ。それはクリスティン・スコット・トーマス(1960年生)にもティルダ・スウィントン(1960年生)にも手の届かない領域でなされる彼女ならではの仕事であって、ほんのひとかけらでもエッジの滴りをにじませてはいけないという点ではヘレン・ミレン(1945年生)すら凌駕するイングリッシュ・ローズのドライフラワーっぷりはもはや独壇場ですらある。ところで、ウォルトにあれだけの名セリフを吐かせておきながら結局P.L.トラヴァースはワールドプレミアへの招待すらされない関係にまで両者の感情は干涸らびてしまうわけで、事実ゆえやむなしとは言えそこを知らんぷりせざるをえないことでストーリーの右肩上がりをあきらめた点でディズニー映画としてはオーソドックスのバランスを急激に欠いていたのが自嘲気味でおかしくもあるのだけれど、ウォルト・ディズニー とP.L.トラヴァースの両者とも叩けばホコリが出るであろう身でありながら、怪物の上澄みだけを(特にウォルト)丹念にすくいとった脚本のアクロバットを当初P.L.トラヴァース役にオファーされたメリル・ストリープが気に入らなかったのもうなずけるところではあり、ディズニーと刺し違える覚悟で(今後一切彼女にディズニーからオファーはないはずである)オスカーレースから引きずり下ろしたのも、彼女にとってはこの映画がそれだけ危険に思える完成度をそなえたファンタジーであったことの証拠なのだろうと思う。言うまでもなく、ディズニーの夢はワタシたちの夢を喰って生きている。
posted by orr_dg at 17:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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