2013年02月18日

レッド・ライト/ニコラス・ケイジとしてのキリアン・マーフィー

レッド・ライト
オフィシャルサイト

※直接的なネタバレはしてないけれど、キリアン無駄づかいと知った上で観賞予定の方はスルー推奨

ならばトム・バックリー(キリアン・マーフィー)についてはあらかじめ周到に引き裂いておくべきで、なけなしのネタを後生大事に取っておきたかったのだろうけれどこれではいかんせん過保護に過ぎる。母親をなくしているトムのマシスン博士(シガニー・ウィーヴァー)への思慕が博士と助手の関係ではなく完全に母親へのそれであること、そして母親の死には何らかの形でトムが関係しているらしいこと、それが彼の背負った十字架になっているらしいこと、ある種のこと(不意をつかれて神経が昂ぶるなど)について異常に神経質になること、といったトムの神経症的な背景をもう少し丁寧に描きこんだ上で超能力者への歪んだ執着を持ち出せば、『デッドゾーン』でジョン・スミスが纏っていた異能者の哀しみなど滲ませることができただろうに、アイディアに酔うあまり詰めも脇も甘くなってしまうあたりは『リミット』と同様で、やはりこの監督は幻視を演出にたたき込む地肩がちょっと貧弱なように思う。マシスン博士がシャクルトン博士(トビー・ジョーンズ)をやりこめるシーンにしても、仮にもライバル関係にある相手をあそこまで素人同然のボンクラに描いてしまうと、世知に長けているとは言えそうした人間が博士を名乗る学問そのものを貶めることになって彼の仕切るサイモン・シルバー(ロバート・デ・ニーロ)の実験検証がはなから緊張を欠いた茶番に映ってしまうし、トビー・ジョーンズの風貌もあてにしてのそうした俗物扱いはやり口が幼稚過ぎるように思う。そういう猫だましのような取り口が許されるのは平幕までであって三役がそれをやるのは少々恥ずかしいわけで、それはたとえば「パラノーマル・アクティヴィティ」と「ファイナル・デッド・コースター」の間に立ちふさがる永遠に超えられない想像力の壁のことであり、役者陣の貌圧と手練れのカメラがなければかなり薄っぺらくぞんざいな映画になっていたように思う。そしてキリアン・マーフィーである。これは演出側の問題ではあるのだけれど、今作に限らず最近はキリアン・マーフィーがキリアン・マーフィーであることをアテにしすぎるというか、ここはひとつ例のじっと透かし見る感じでお願いします的な投げっぱなしのせいもあってキャラクターの浅彫りが安直過ぎる気がしてならず、彼の半開きの口が醸す別れみちの逡巡を掴まえる監督になかなか巡り会えずにいるうちにベン・ウィショーのような対抗馬が煽りまくったりしているものだから、彼の泣き濡れた瞳のデカダンを愛でる者としてはそれなりに心配しているのである。ところでネヴァーエンディングなトイレファイトはまさか『ゼイリブ』狙ったわけじゃないよね。
posted by orr_dg at 19:11 | Comment(0) | TrackBack(1) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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