2012年03月07日

メランコリア/疲れてないヤツは、きらい

メランコリア
オフィシャルサイト

ヒプノシスなど思い起こさせるハイアートな仕立てをハイスピード撮影による映像で見せつけるやり口は『アンチクライスト』で味をしめたのか、最初に強烈な皿を出されることで何だか味覚が麻痺してしまい、以降は手持ちカメラの揺らぎも味付けとしてああこれもすごくおいしいと喰ってしまうことになる。実際、第一部の結婚式において、今から例のごとく品性のあぶり出しをするからオマエもそこで見てろと巻き込まれていく時の、カメラが意味ありげにつけまわして回り込んでいく悪意という名前の正気はやはりこの監督の真骨頂でもあって、特に新郎マイケル(アレクサンダー・スカースガード、ステランの息子!)の心を不必要なほど研がれた爪でくし削っていく嫌らしさの精度にはうっとりとしてしまう。しかしそれほど禍々しい爪の持ち主であるジャスティン(キルスティン・ダンスト)も、俗物大図鑑とも言える群れの中に投げ込まれた上に本来シャム双生児ともいえる自身のメランコリーと切り裂かれて、あるいは自ら切り裂いたその傷口から“生の意味”がだらだらと流れ出してしまうことで衰弱の一途をたどり、では何が彼女を窮状から救い出せるのかというところで第二部が開幕するわけで、ここでは持つ者(安定)と持たざる者(不安定)が第一部と次第に逆転していく様が描かれて、獲得し続けるジャスティンと失い続けるクレア(シャルロット・ゲンズブール)の対比は、乱暴に言ってしまえば内部と外部の違いであって、この映画が自身のセラピーであることを公言してはばからないトリアーは外部をあてにしない深奥に向かうダイバーを勇気づけているように思える。だから仮にこの第二部がジャスティンによる妄想の産物であったとしても、エンディングで到達した肯定の穏やかで明るい光の持つ作用は変わらないはずで、捨て去ることに躍起になっているものこそがもしかしたらあなたが探している答えなのではなかろうかという密やかなアドバイスのようにも思える。と書くと何だかポジティブシンキングの胡散臭さが漂うけれど、クレアを含め劇中でトリアーが悪意を塗りつける人物を目にすれば、ジャスティンを真の意味でのサヴァイヴァーとしたトリアーの儚く脆いがゆえに切実な意図が分かるはずで、これが彼なりのハッピーエンドであることを思うと素直に喝采をおくりたくもなるのである。観る前までは『渚にて』『世界大戦争』といった人類最後の日の物憂い気怠さを描いたことでのメランコリアだと思っていたのだけれどそれは完全に良い意味で裏切られたし、ここまで私物化された映画というのは『トゥリー・オブ・ライフ』以来な気もするけれど、それゆえの爽快さという点ではこちらが圧倒的に思える。そして何よりキルスティン・ダンストが『ヴァージン・スーサイズ』(あちらもメランコリーの話だけれど)以来のブレイクスルーを果たしたような気がして文句なしだし、先に書いた俗物大図鑑の面々(ジョン・ハート、シャーロット・ランプリング、ステラン・スカースガード、ウド・キアー)による第一部のコメディを観るだけでもお釣が来たように思う。ただもう少しサウンドシステムの整備された劇場で観ておけばよかったなあという気がしているので、それだけが心残り。
posted by orr_dg at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(1) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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