2011年08月07日

復讐捜査線/目を瞑り地獄を夢見ろ

復讐捜査線
オフィシャルサイト

かつてこれほど哀切と戦慄がこめられた牛乳のぶっかけシーンがあっただろうか。牛乳をぶっかける必要がこれまでにどれだけあったのかはともかくとして、少なくともワタシの映画史では既に燦然と輝き出しているし、これが観たくて新宿ミラノで2回目を居残ったくらいである。そして今、このシーンで下げることのできる溜飲を世界で一番持ち合わせているのが我々日本人であることを思えば、少なくともこの映画は東北を絨毯爆撃のように巡回すべきである。とまずは一通り吠えておかねばならない映画であるのと同時に狂犬のカムバックとしてもファンタジックに仕上がっていて、何より敵の姿が見え始め攻勢に転じて以降のプレッシャーの与え方に漂う狂気は、それはもうマッド・マックス以来連綿と続く“相手が悪かった…”と敵に嘆かせるメル・ギブソン節の真髄であって、ここではそれが文字通り捨て身で為されることでカタルシスの醸成が面白いように進んだあげく、前述のミルク責めでとめどもなく決壊するわけである。ただ、この映画が優秀なのはそうしたトム・クレイブン(メル・ギブソン)の暴走を愛でる余裕を可能にする強度を物語が備えているからで、マーティン・キャンベルが脚本と共に沈んでしまうことの多い監督であることを考えると、その辺りはウィリアム・モナハンがキャラクターの造型やプロットの縦糸と横糸に辣腕をふるったように思える。なかでもレイ・ウィンストン演じるジェドバーグとの関係には、人生への対処について善悪と立場を超えたところで邂逅したことによる密やかな共犯関係を色づけし、フレンチ・ノワールで垣間見えるホモ・ソーシャルの香りすら漂わせたきめ細かな湿度が心地良い。ただ、親子鷹ともいえるエマ(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)との関係に、母親の不在が一切描かれないことの不穏とファザーコンプレックスを一層しのばせてみることで、次第に浮かび上がる彼女の実像に鉛の重さを与えることも出来たのではなかろうかと、中盤が陰謀論の構築に追われてしまったのが少々もったいないような気がしないでもない。とは言っても、ショッカー演出に近いアクションの炸裂と幻覚とも言える執拗なフラッシュバックによる昂奮をジェドバーグが彷徨う暗闇の足枷によって鎮静したバランスによってハッピーエンドともいえる幻想を可能にしたわけで、この余韻はおそらく怒り肩な邦題からは及びもつかないはずのものだから、メル・ギブソンの復活を喜ぶにしろ、前述した溜飲を下げるにしろ、是非とも劇場に足を運ばれることをお薦めする。ちなみにワタシはこれを新宿ミラノ1のスクリーンで観賞する僥倖に恵まれたのだけれど、近い将来コマ劇場跡にシネコンが出来た時に、新宿ミラノが現在のような曖昧で愛すべき編成のままどこまで生き残れるのか非常に気をもんでいる。封切り館として、ビジネスというより興行の気分を残す最後の牙城なもんだから。
posted by orr_dg at 01:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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