2011年06月26日

きみのためなら死ねる二題 〜 SUPER 8/スーパーエイト & スカイライン −征服− 

スーパー8
『SUPER 8/スーパーエイト』

子供らのキャラ配置からしてみればエイリアンをスロースのごとく従えたアリス(エル・ファニング)がいつ現れるんだろうだと思ってたものだから、わりとあっさり殺戮に手を染めるどころか人まで喰うエイリアンに拍子抜けしたあげく、ああ、きっとスロースを妄想し投影する必要のない子供だったエイブラムスにやはり「グーニーズ」は無理だったのか、ルサンチマンを抱え仮想敵を打ち砕くために映画で武装した子供ではなかったのかと、大きなお世話だろうが勝手に落胆してみたのである。この映画に際しての、スタイルの踏襲とパターンの遂行のラジカルな徹底という試み自体はとてもよく分かるし、結果として紋切り型に任せきりにする心地よさまでくらいまでは手が届いてそれはそれで愉しいのだけど、では踏襲と遂行の徹底のその後でキミはどこにいたんだろうと訊ねてみればどうも一人で黙って先に家に帰ってしまったような他人行儀が物足りないのだなあと、キミの師匠は5時の鐘が鳴ってもあれこれ理由を見つけては家に帰らなかった子供のはずなのに残念だよと思ってしまうのだ。これについては、男子チームに異物としての美少女を投入した時の関係性の揺らぎとか距離をつめるのに一歩踏み出す時のためらいと戸惑いとかいった思春期デリカシーの薄さにもつながり、何だかエイブラムスはいろいろと弱点を晒してしまったなあという気がして、体質としてはあくまでアレンジャーであってプレイヤーではないんだろうなあと思ったりもした。それにしてもエル・ファニングの首はまるでトム・ヴァーラインのごとくほぼ完璧なラインでそれ自体が独立した生き物のように息づいて、僥倖に恵まれればそっと両手で甘締めしてしまうのはおそらく必至であるから、その罪作りな首を確認しに劇場へ向かうのもまた愉しかろうと思う。



スカイライン
『スカイライン −征服−』

これはまたあちこちいろいろと仕方のない映画で、予算がないからモブ・シーンもないし籠城ものにするしかなかったとか、おそらく尺を稼ぐためであろう余分な人間関係とそれを生み出すための冗長なシークエンスが満載であるとかやたら言い訳がましくて、要するにこれはパイロット・フィルムも兼ねたチャプター1なわけで、はなから閉じる気のないエンディングはお金が集まればさらに驚愕の出し物をお見せできますよという続篇への煽り満々なわりに、果たしてあの苦笑いの先に一体何を期待すればいいのか、あなたの子供が出来たのと言われてドン引きした男にどの面下げてヒューマニズムの未来を託したのか正気を疑うワタシはおそらく正気である。ただ、興行のやり口としてはあながち間違いではない気がするし、それ以外の殆どを間違ってしまった自爆についてはいっそ清々しく思えるので、それらもろもろの確認作業としてはアリだと考える。考えるだけだけど。
posted by orr_dg at 20:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おっしゃるとおりだと思います!『スーパー8』はスピルバーグやジョー・ダンテみたいな人にある劣等感が足りてない気がするんですよねー
Posted by がくとん at 2011年06月27日 01:54
>がくとんくん
劣等感!そう、それなんだよね。暗い目に宿ってくすぶるガッツなんだよね。
Posted by オア at 2011年06月27日 11:02
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