2011年05月01日

キッズ・オールライト/青春の光と影とブルー

キッズ・オールライト
オフィシャルサイト

バイク・ライディングやベッドシーンといった要するに下世話にアゲるシーンにボウイの、しかもPanic in DetroitやWin、Black Country RockなんていうRCA期の非シングル曲をインサートしてみたりポールのレコードコレクションに「ハンキードリー」をしのばせてみたり、あげくジョニ・ミッチェルの「ブルー」語りで奈落に導いてみたりと、監督の年齢からしてワタシ同様に後追いで虜になったくちだろうけれど、それが懐古趣味としてではなくその先に延々と転がって行ったロック・ミュージックと併走してきたリスナーであることはオープニングとエンディングに貼りつけた2曲のチョイスでもすごくよく分かるし、そうやって何を見て何を聴いて年を重ねたのか、そしてそこから滲むロックンロールの社会と世界へのガンのとばし方は無条件で信頼できて、おまけにジュリアン・ムーアが愉しそうに脱ぎまくっているとあればそんな映画を嫌いになれるはずがない。セクシュアリティやフェミニズムといった特にアメリカでは政治的な色合いを帯びてしまうような話を当事者が表現する時、ことさら攻撃的であったりあるいは客体化の手段として自嘲/自虐してみたりということが間々あってそう言う時はこちらも距離が測れずに困惑してしまうのだけれど、この映画はイズムそれ自体を問題にすることなく、まあ結局はこちらも似たようなもんですよという打ち明け話のようでもあって、ただそこにノンな人たちへのおもねりは全くないことを親たちに対する子供たちの目つきで表明しているのがとても清々しく思えるし、運命を自身の選択として受け入れた親たちに比べて気がついたらそこに放り込まれていた子供たちがぐらぐらと揺れながらも自分の歩き方をすることで家族を結びつけていく姿勢がとても綺麗で最後にタイトル(” THE KIDS ARE ALL RIGHT ”)がストンと胸に落ちてくるようになっている。役者はみんな文句なしで、紫色のTバック始め今回の脱ぎ要員であるジュリアン・ムーア(ジュールス)の愛すべきダメっぷりと、おそらく監督の投影であろう一家のタフな支柱でありながら家長はつらいよと流す涙と止まらぬため息で彩るアネット・ベニング(ニック)の切なさ、そのブロンドとスキニーで透明な屈託に血を通わせて脱アリス大成功のミア・ワシコウスカ(ジョニ)、最後のセリフでいいとこ総取りのジョシュ・ハッチャーソン(レイザー)、そして真摯と俗っぽさの両端をぎりぎり保ったままファンタジーのようにこの家族を通り過ぎることを求められるという、実は一番記号的で厄介な役回りに説得力をもたらしたマーク・ラファロ(ポール)のジェントルなハイカロリー、といった面々によるアンサンブルを束ねた、ほのめかしやあてつけを巧妙に織り込みつつ言葉で感情をむき出すことに腰を引かない脚本の、特定の個人で自閉しない采配が絶妙だったと思う。ちなみにR15+は主にジュリアン・ムーアとマーク・ラファロによるピンクコメディのせいで、ブルーバレンタインのそれとは全く意味合いが違うのでキッズも臆せず観ちゃえばいいと思うよ。
posted by orr_dg at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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