2010年11月01日

ストーン/オレの音がうるさい


ストーン
オフィシャルサイト

真っ先にデ・ニーロの決壊を知らせてしまっていることや毒婦としてのミラが思いのほか額面通りであることなど考えればミラがデ・ニーロを転ばすのも規定路線ということになり、ではどういう事情で物語がツイストしていくかと言えば、皆さんお待ちかねのエドワード・ノートンの登場である。コーンロウできめたホワイトトラッシュ丸出しの斜っぱで落ち着きの一片もなかった彼が、あるインナートリップを経て変貌していくことで完全にデ・ニーロと攻守が逆転していくわけだけれど、ここでノートンのキャスティングがいろいろと効いてくることになる。この映画を神経戦のサスペンスのつもりで観れば彼の変貌は詐病なのではないかとまずは疑うわけだけども、端々でデ・ニーロの妻も含めた登場人物の屈託を煽るような心象風景がやたらインサートされて次第に映画の荷重が増えていくことでどうもこれは騙し騙されで済むような話ではないのではないかと考え始めることになる。にも関わらず、何しろノートンがすることだからというこちらの刷り込みがカメレオンとしての彼を信用させないことで生まれるサスペンスが下世話な興味を持続させてもいて、これをフォーカスが甘いととるか有効な目眩ましととるかで印象はだいぶ変わってくる。ただ、ノートンについては詐病を装うつもりで始めたことがいつしかあちら側へ落ちてしまうという道筋を匂わせた方がデ・ニーロとの乖離がよりクリアになると思うし、そもそも現状だとノートンのあちら側への最初のジャンプがやや唐突に過ぎたせいで、それをなじませるためにラジオ放送によって心象の抽象部分を説明的に念押ししてしまうなどした点でやや鼻白んでしまった気がしないでもない。では結局ワタシはと言えば、当初の目論見を果たしたはずの毒婦ミラですら当惑するノートンがまとった洗練といっていい狂気が冒頭と結末の円環をつないだことによって、倦怠と嫌悪と絶望に彩られて枷が外れたデ・ニーロの“終わりの始まり”をラストカットで示唆したことを考えれば、これはある種のサイコホラーと言ってもいいというかそう愉しんだ方が落としどころがより明快になるんじゃないかと思っている。作中で“音”に頭の中を支配されていく描写など「クリーン、シェイブン」(DVD化切望!)には及ばないもののアイディアとしては面白いのだけれど、そのサウンドスケープの説得力を愉しむためにもせめて地下鉄の振動に邪魔されない環境で観たかったなあという悔いは残る。もちろん、呪うとすればそれはデ・ニーロとノートンの共演作ですらこうした扱いになる世知辛い世情に対してであってシネパトスにはこれっぽっちも恨みはないし、中身はペラペラだけどプログラムまで作ってくれた配給会社には感謝するしかないのは言うまでもないけども。と言うわけで、しばらくぶりのなで肩を恋しく思う方は当然として、ここまで鬱屈したファナティックを演じるデ・ニーロは本当に久しぶりだし、それだけでも一見の価値があると思うので足を運べる方は是非に
posted by orr_dg at 23:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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