2010年06月28日

闇の列車、光の旅/きみの分までおれが死ぬから



オフィシャルサイト

未来とか成長とかいった言葉が幸福の分け前を一切約束しない青春の、しかも青春であることすら気づきもしない彼と彼女によるレジスタンスとしてのボーイ・ミーツ・ガール。川面を染める血がにじみ出したような夕焼けが冒頭でカスペルがリアルに幻視した未来だったとすれば、カスペルとサイラ、そしてスマイリーの3人が最初で最後、川面の水平に連なったあげく死んでいく者と生き延びた者が交錯する一瞬こそが未来の成就ということになり、ここはサイラとスマイリーそれぞれの越境と通過をカスペルが自らを賭すことで果たすという映画の構図をワンショットで見切って忘れがたく強力であり、直前のシークエンスで劇中サイラが唯一見せた笑顔を使って映画を揺さぶったのもこのショットの布石となるわけで、監督がこうしたところでみせる“映画の物語”に対する冷徹な確信は信頼に値する。ところでこの映画では本当に簡単に人が死んでいく。ただそれは、命が軽いからと言うよりは、命それ自体が剥き出しに晒されているためにすぐ失われてしまうように思えて、だからその剥き出しを覆うためには北に向かわねばならぬ、北に行けば命の覆いが見つかるのだという、願望というよりは信仰に近いここではないどこかへの渇望が人々を列車の屋根に登らせていて、けれどもここではそれを悲劇として貧困のシステムを告発するドキュメントを担おうとしているわけではなく、あくまでも映画のリアルとしての口調を保つことで一過性の事実ではなく物語の普遍を獲得することにかなり深いところで成功していて、それが物語と共闘する監督の視線と原理によることは既に述べた通りで、だからこそどれだけ無慈悲であろうとそのファンタジーに浮力を与えることが可能なのだろう。ところで不法移民について取りざたされる場合、大抵はメキシコから合衆国へのそれであって、ここで描かれるさらにその南に連なるグアテマラやホンジュラスからメキシコを経由して北に向かう不法移民のことなどワタシもこの映画を観るまで全く思いが至らなかったのだけれど、それは南下するほどに南北問題としての状況は当たり前のように悲惨で切実になっていくわけで、例えば不法移民達を屋根に乗せた列車が地元であるグアテマラやホンジュラスを通過していく時、励ましの意味を込めてであろう沿線の子供達が果物を放り投げてくれるのだけれど、一旦メキシコ国内に入ると沿線の子供たちはこの不法移民めと罵りながら石を投げつけるわけである。最初、駆け寄ってくる子供達が歓迎してくれるのだと思って笑顔で手を振る移民の彼らが、飛んでくるのが石つぶてであることに気づいて必死に頭をかばうシーンはことのほか雄弁に状況を語って痛々しいまま直截的に印象に残る。そうやって上を見てもどこまで行けば水面に出るのか見当もつかず、下を見ても一向に底は見えず足も立たないまま永遠に溺れ続けるのではないかという恐怖こそが、ギャングを産みおとし集団自殺のような北行きを誘発して命を奪い続けるのだということ、そしてその恐怖は実は形や質を変えてどこにでも顕れるワタシ達の胸騒ぎでもあって、だからこの映画と何の屈託もないまますれ違うことなど到底できるはずがないし、ワタシ達は恐怖していないのではなく“北”にいてそれを覆ってやり過ごしているに過ぎず、ラストショットのサイラに倦んだ既視感を憶えてしまったワタシやあなたは今も溺れ続けているということなのだろうと思う。おそらくもう一度観る。

posted by orr_dg at 21:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。いつも正座して読ませていただいております。
Orrさんのレビューを拝読して、「ザ・ロード」より優先順位を上げて今日観て来ました。素晴らしかったです。
お話自体は本当に凡庸といえるぐらい単純で、しかしながら映画的としか例えようのない瞬間が何度か訪れ(序盤の、カスペルがボスのリルマゴを殺めてしまうあのカットなど)、その度に背筋を伸ばした次第です。
下半期のスタートに良い映画を観ました。これからもOrrさんの新作レビューを楽しみにしています。
Posted by ダーク・ディグラー at 2010年07月02日 02:07
>ダーク・ディグラーさま

はじめまして
>カスペルがボスのリルマゴを殺めてしまうあのカット
マルタの最期の場面をワタシたちは知っているけれどカスペルは知らない、
というわけでワタシたちのみ投影可能なフラッシュバックと
あの切り返しのリズムとの相乗でカスペルの動悸/動機と同調してしまい
息がつまりそうになりました

物語としてはこれくらいキメ打ちしないと
混沌の熱量とかを可視化できないと監督は考えたんでしょうね

出たとこ勝負で書き散らしてる場所なので
これからも鼻などほじりながら気楽におつき合い下さい、では!
Posted by オア at 2010年07月02日 10:43
>けれどもここではそれを悲劇として貧困のシステムを告発するドキュメントを担おうとしているわけではなく、あくまでも映画のリアルとしての口調を保つことで一過性の事実ではなく物語の普遍を獲得することにかなり深いところで成功していて

この映画に震えている間、ずっと『ムニャムニャとムニャとムニャちゃんの国』はどうしてあんなにダメだったんだろう?と考えていたんですが、Orrさんの解説(上記引用部分)を読んで非常に合点がいきました。

>混沌の熱量とかを可視化できないと監督は考えたんでしょうね

カスペルが鉈を振り下ろした瞬間、自分の中で血糖値が上がる音がボコボコと聞こえたような気がします。こういう瞬間って、年に100本ぐらい映画を観ていても、そうあるもんではないですよね。
Posted by ダーク・ディグラー at 2010年07月02日 12:04
特に南米などが舞台になると、北半球の人間はその事情の異なり方をマジックリアリズムの非日常にして愛でてしまいがちですが、この監督はそこに陥らないように、物語のフレームをきっちり組み立ててきたんでしょうね。それにしたって犬にアレ喰わせたりとか細部は凄まじいわけですが。
Posted by オア at 2010年07月02日 14:54
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