2009年10月06日

リミッツ・オブ・コントロール/今日もあの気持ちのまま一人で歩いてる


リミッツ・オブ・コントロール
オフィシャルサイト

ビッグ・ブラザーをだしぬくためのバケツリレー。目の前の手触りに集中しろ。携帯電話は使うな。歩きながら視ろ。立ち止まって耳を澄ませろ。そうすればオマエの想像力とスキルはすべての人工物をその不自然さゆえに凌駕する。俺達はそうやってきた。これからもそうする。他に方法があったら言ってみてくれ、という実は男前なメッセージを面妖にラッピングしたジャームッシュの新作は、「ブロークン・フラワーズ」で御しやすしと思われた腹いせのように高密なマジックリアリズムで「パーマネント・ヴァケーション」のダイアローグ・ヴァージョンともいえるアドレセントな漂泊がいまだ脈打って鬱陶しいとも言える馴染みの感覚に苦もなく溺れる。だからこれは殺し屋が過ごす永遠の休暇、もしかしたらジャームッシュの「ときめきに死す」なのかと思ったりしたものの暴発しない青春の巨匠がそんなイージーを許すはずもなく、孤独な男(イザック・ド・バンコレ)の無表情は(一度だけ相好を崩すけれど)最後まで内圧を押しとどめて、孤独でも孤高でも孤絶でもなく彼だけの独立を守る。そして唯一相好を崩させたシーンでは内圧を解いて披露した感情にこってりと圧倒されるし、銃を持つヌード(パス・デ・ラ・ウエルタ)の手を押さえつけるシーンで見せた突如加速するカットは彼のポテンシャルをたった一度だけ“説明”して何ともアンバランスな饒舌なのだけれども、これら実際は何気ないはずのシーンが際立って突出するのは全編が異様なくらい等質に均されているからで、これがドローンの恍惚を誘ってかなりくらくらと酩酊させられるものだから、Borisのしめやかなノイズがことのほか映えてまさに劇伴と言う言葉にふさわしい成功。そしてときおり聞こえるアンプに通電した時のようなノイズは孤独な男の内圧を知らせるアラームのようだし、こうしたサウンドデザインと思わず息をひそめてしまうようなクリストファー・ドイルのフィクスが相まった結果、ジャームッシュのフィルモグラフィで最も張力の高いスクリーンになって妙に後を引くものだから、2日続けてシネマライズに通ってしまった。ティルダ・スウィントンについては「ブロークン・フラワーズ」に続いて、ジャームッシュの“ティルダ・スウィントンをティルダ・スウィントンと分からぬように撮る”プロジェクトが発動した結果、エル・ドライバーのような風情で(おそらく)タルコフスキーについての見解を述べたりする。分子(モレキュール)というコードネームを与えられた工藤夕貴は、彼女がそのセリフの中で“モレキュール”と発語する口元がやたらキュートで胸の奥がむずむずしてしまうのがとても愉しい瞬間。あとは、汚れた爪のメキシカン(ガエル・ガルシア・ベルナル)が折り返しの坂をショートカットして軽く駆け上がるシーンが好きだ。孤独な男がドアを開けるシーンで細かなカットを意味ありげにたたみかけるのも好きだ。ヌード(コードネームね)のいるシーンだけなぜかリンチのようなハイレゾで爛れるのも好きだ。というわけでワタシはとても大好きになった映画なのだけれど、何をどんなふうに期待しようともおそらくそれを与えてはくれない映画だと思うから、眠らずして見る夢はどんなだ?くらいの好奇心で座席に沈んでみればいいと思うんだけども。
posted by orr_dg at 23:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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