2021年07月06日

スーパーノヴァ/誰がきみを一番愛してくれるのかわからない

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オフィシャルサイト

「なくなってしまうのが悲しいのなら、それは善いものだったということだ」「年老いた星は最期に巨大な花火のように爆発して粉々に散り、長い長い時間をかけて宇宙を旅したその星の欠片が私たちを形づくっていく」というタスカー(スタンリー・トゥッチ)のセリフと、残り数分にしてようやくスクリーンにあらわれる“SUPERNOVA”のタイトルがこの物語の公式な感情を伝えつつ、美しい光を放って夜空に輝くあの星が既に存在しないことをぼくは知っているけれど、それが輝く限りその光と欠片を集めてはぼくだけの星を押し頂いて生きていくのだというサム(コリン・ファース)の悲愴な決意は、「いまや僕は(人生の)乗客であって乗客ではない、なぜならその行先はぼくが行きたい場所ではないからだ」と冷静に知覚するタスカーの声にどこかしら耳をふさいだようにも思え、「愛の挨拶」を弾くラストシーンのサムは世界でたった一人タスカーのためだけにその旋律を紡ぎつつ、果たしてその時のタスカーにサムの音色やタッチが届くことがあるのかどうか、ほとばしる感情を倦んだ眼差しで押し殺すサムもまた彼岸の彼方を歩んでいるように映ったのだ。もうそこには君がいないとしても、ぼくには息をする君が在りさえすればいいのだとすべてをかなぐり捨てて懇願するサムのわななきは、かつて最愛の人を失って「ネクタイはウインザーノットで」と遺書までもしたためたある男が憑かれた孤独(シングル)のオブセッションを知ればこその狂気じみた切実であった気もするし、サムへの愛ゆえ尊厳を棄て文字通りの我が身を差し出すことを受け入れたタスカーの決断もまた新たな極北にあって、さっと冷ややかにうなじを撫でられる。そうしてみると、この映画がどこかしら起伏を失っているのはこれがサムとタスカーの死出の旅、すなわち二人で世界から消えてしまおうかという心中の道行きであったからなのだろうと、彷徨の果てにNYの片隅に消えたカレン・ダルトンの歌声がレクイエムのように誘いかけた瞬間に確信し、あとはもう生き霊のように透けていくばかりの二人なのだった。
posted by orr_dg at 02:55 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする