2021年04月26日

クリシャ/チキンを落としただけなのに

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オフィシャルサイト

クリシャ(クリシャ・フェアチャイルド)が乗りつけた薄汚れたピックアップトラックの運転席側のドアからはドレスの裾がはみ出していて、全体として彼女が“そういう人”であることを開口一番告げている。しかし、車から降りたクリシャは、「ちゃんと呼吸をして、だいじょうぶ、だいじょうぶ、ちゃんとやれる、落ち着くのよ」と自分に言い聞かせながら戦場にでも赴くかのような目つきで呼び鈴を押し、10年ぶりに再開した一族の妹やら義弟やら甥やら姪やら何やら血の繋がりがあるものないものたちとハグをかわしては「汗臭くてごめんなさい」と謝り続け、ここまでワンカットで描かれるアヴァンタイトルの最後、トレイ(トレイ・エドワード・シュルツ)とハグをしてこちらに向き直ったクリシャに浮かぶ希望や怖れ、緊張と倦怠がないまぜになったクロースアップから、そのすべての感情を失ったラストショットのクロースアップへと円環するまでの80分間、クリシャがいかにしてそれらを手放したか、もしくはそうせざるを得なかったか、その自暴と自棄の事情が薄皮を剥いで滲んだ血の文様で浮かび上がっていくこととなる。何とか自分を成り立たせておくための薬を飲んでは服用の記録をノートにしたためるクリシャに闖入者の不埒はないどころか、むしろ社交と礼儀を失すまいと懸命に細いロープを渡ってどこかへたどり着こうとするように思えるのだけれど、既に青年の年齢であるはずの甥たちが繰り広げるバカ騒ぎの嬌声や、義弟はじめ男親たちのところ構わぬ思いつきによる微細な秩序の崩壊がもたらす精神的なノイズがクリシャの自制と集中を静かに容赦なくそぎ落としていく。そうやって内部のアンサンブルを乱した最中、おそらくはクリシャにとってこの帰郷の目的の一つだったのだろう、ある事情から妹夫婦が彼女にかわって育ててきた実子トレイとの関係修復を決定的にしくじってしまうことで、それまで何とかクリシャをクリシャたらしめていたギプスは弾けとび(ある欠落を覆い続けた右手人差し指の包帯にそれが託される)、かつてクリシャだった何かが感謝祭のフェアチャイルド家を蹂躙し始めるのだ。しかしクリシャをモンスター化して語ることにさほど積極的になれないのは、それまでずっと自分に対してなんとかファイティングポーズを取り続けるようと苦闘するクリシャの姿を見ていたからに他ならず、いつしか思い浮かべずにはいられなかったメイベル(『こわれゆく女』)にあってクリシャになかったのが彼女の無私なる味方(メイベルにとってのニックと彼女の子供たち)であったことを考えれば、それを引き寄せたのもまた彼女であったとはいえ、誰も手を差し伸べないままクリシャが蟻地獄のように沈んでいく血のわだちこそがフェアチャイルド家にとり憑いた恐怖の根源であったように思ったのだ。クリシャが酒を飲もうが飲むまいがいずれ彼女はそこに沈められたにちがいなく、そうやって人間を停止させられた者の貌がスクリーンいっぱいに拡がるラストに、人間がホラー映画を撮り続けそれを見続ける理由が一瞬よぎった気もしたのだ。自分の人間にいい加減うんざりした者の心を、この貌は洗ってくれる。
posted by orr_dg at 23:15 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする