2020年07月03日

はちどり/ベネトンとキム・イルソンとミチコロンドン

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オフィシャルサイト

※未見なら知らずにいた方がいい、あることについて触れています

「いまのこの時間は不思議な気分だね」と、ウニ(パク・ジフ)がボーイフレンドのジワン(チョン・ユンソ)に公園で語りかける。そうだねと答える彼に、ジワンはどんな感じ?とウニがたずねてみれば、「寂しい(って感じ)?」と答えるのだ。この映画に登場する男たちの例にもれず、身勝手で腰の座らないジワンが思いがけず口にする「寂しさ」という言葉に思わずハッとしてしまうのは、相手に気持ちを寄せれば寄せるほど、どこまでいってもわたしはあなたに近づき切れないことに、わたしはあなたになれないことに、わたしはあなたではないことを思い知らされて、しかしそれらを知ることでワタシたちは、寂しさ(loneliness)から孤独(solitude)へと世界から独立した自身の輪郭を意識することを促され、やがてはその不可侵の魂が放つ光が照らす道を歩き始めるその第一歩こそがジワンの口にしたその言葉であったからなのだ。物語は、ウニの前に現れたヨンジ先生(キム・セビョク)がウニの中に孤独の原石を見出して以降、彼女をメンターとすることでウニは日々の出来事を新たなまなざしで見つめることを知っていく。なぜわたしたちは世界に対してファイティングポースをとらなければならないのか、この世界は不条理だからこそ、あなたはあなたを世界に明け渡してはいけないのだ、だからあなたは殴られてはいけない、殴られたら黙っていてはいけない、立ち向かっていかなくては、と伝えるヨンジ先生は、そうすることでかつて自分が打ち破れた喪失に向き合っているかのようにも思えてならず、誰もいない一人だけの教室で自分の体をぎゅっと抱きしめたその背中には、ウニたち世代に対する責任にも似た悲痛な覚悟すらをまとった気がしたし、彼女が塾を辞めたのはウニと向き合うことで新たな再生の予感を自身に感じとったからなのだろうと考えてみる時、その結果もたらされる彼女の最期はウニの独り立ちへの力ずくの最終試験にも思えたのだ。突然自分を裏切る親友を、流血の夫婦喧嘩の翌朝に笑いながらTVを見る父と母を、あれほど血が流れていた父の左腕の白いガーゼを、街中で呆けたように歩き去る母親を、病院の廊下で自分の病気を想って人目もはばからず泣く父親を、知っていると思っていた人たちがふとした裂け目から垣間見せる知らないその人を、ただひたすら見つめては立ち尽くすばかりだったウニはそれにどう応えたのか、「あなたが顔を知っているたくさんの人たちの中で、その心の中がわかるのは何人いる?」というかつてヨンジ先生が投げかけた問いかけを心の奥底で反芻するかのように、ラストシーンで自分のまわりのクラスメートたちを静かに顔を上げて見つめるウニの視線が湛えるのは、孤独を知った人の優しさと厳しさのないまぜになった静謐ではなかったか。そしてそれら感情の流転を監督はその余白の隅までもミリ単位の感覚とすらいえる精緻な筆でデザインしていくわけで、映ってしまうものの蓋然性に対する潔癖症的な嫌悪を漂わせつつ、しかしそれが観客を一切圧迫することのない光と影の恍惚とした溶かし方は中毒性すらを帯びるわけで、突発的に完璧なショットが目の前に現れる時の震えはどこかしら黒沢清を想起すらさせ、例えば、塾が始まるまでの時間を建物の前の広場で潰すウニが一人遊びのように段差を駆け下りては昇るその運動をロングショットでとらえたシーン、とっさに立ち上ったのは『岸辺の旅』で深津絵里が道路を斜めに横切ってやにわに駆け出すその後姿だったのだ。そしてなんといっても、ウニという少女の感情を発火する回路を組み立てるパク・ジフの理解と解釈と表出が傑出していて、ウニが自身を襲う不条理に出くわした時、監督はカットを割ることなく変転するウニの表情と仕草だけでほとんどサイレント映画のように文脈を語ってしまうのだけれど、それに対して完全かつ幾ばくかの余韻まで加えて応え続けるパク・ジフのパフォーマンスを観ているだけで知らず映画体験の幸福に捉われてしまうし、138分の間ずっと地雷原を歩き続ける少女の物語でありながら、それが不穏や不安の残酷ショーに陥らないのはある高みの映画だけが放つ愉悦や快感が最後まで途切れることがないからなのだろう。半径5メートルの日常がその向こうに茫洋としてある社会や政治と分かちがたくあることを今のウニは無意識の感覚として知り始めていて、ならばそこに生きる自分はどうすれば世界と自分を見失わないでいられるのか、それは目を開き心を開き、自分を知るように相手を知ることで起きる出会いこそが世界と自分を繋げてくれることを確信したからこそ、かつて海辺でアントワーヌを捉えた孤独のその先で、既にウニは世界を見渡すことを始めていたに違いないと思うのだ。ワタシではない、新世紀の10代に差し出されたマスターピース。
posted by orr_dg at 02:35 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする