2019年08月13日

ゴーストランドの惨劇/ラヴクラフトならこう言うね

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オフィシャルサイト

※展開に触れているのでパスカル・ロジェという名前にそわそわしている鑑賞予定の方スルー推奨。一刻も早くそのそわそわを鎮められんことを。

肉体の先に宇宙(魂)を覗く実験であった『マーターズ』から始まり、監禁や誘拐によって真空でスウィングされる肉体こそが魂の共鳴を誘うのだという狂人の正論を整えた『トールマン』を経て、肉体の死か精神の破壊かそのどちらかしか途はないところに追いつめられた魂が肉体の記憶と手をたずさえた時、自動書記のように立ち上がる想像力の筆が描き始める世界は昏睡した現実へのいかなる乱入が可能なのか、魔道士パスカル・ロジェがまるで臨床試験を執り行うかのような冷徹と恭しさとで、ベス(クリスタル・リード/エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(アナスタシアン・フィリップス/テイラー・ヒックソン)姉妹の心と肉体を文字どおり“折り”にかかることとなる。しかしパスカル・ロジェが単なる姉妹絶唱の残酷ショウそれ自体を目当てとするはずもなく、ベスによるエピグラフとして捧げられるラヴクラフト愛はいずれ想像力の強度を支えてめぐらされる梁となり、ヴェラ言うところにの“ロブ・ゾンビの家”で繰り広げられる肉体への即物的な恐怖と暴力の応酬との二重世界を築くことで、やがてこの物語にしのばされた目的が次第に明らかとなっていく。ベスの世界に現れる書物のタイトルがそのままこの映画のタイトルとなっていることを忘れさえしなければ、ラヴクラフトがベスに告げる「この傑作を一字一句でも変えたりしたら僕はきみを許さないよ」という言葉を聞いて、ベスが自らガラスを突き破りロブ・ゾンビの家へと戻っていったことの意味が、エピゴーネンからオリジナルへ、仮想敵に酔う世界から真の敵と闘う世界へ、ひとりの女の子の通過儀礼の物語として完結させることすら可能に思えたのだ。といったサイドストーリーを預けたことで、すべての痛覚描写は整合性と正当性を持ち始め、殴る蹴る刺す裂く噛む撃つそして嗅ぐといったおよそ考えうる肉体の破壊が綿密かつエレガントに創造されていくこととなる。特にベスとヴェラの姉妹に顕著な顔面崩壊が得も言われぬ素晴らしさで、それは例えば『トールマン』で犬に脚を酷く噛まれたジェシカ・ビールが映画の間ずっとその脚をひきずっていたりとか、時間が経つほどに腫れ上がっていくそのまぶたであるとか、暴力の結果が都合よく消えるはずなどないことを、ほとんど肉体への敬意といってもいい細やかさでそれを施していたのである。キャンディトラックの女が姉妹の母ポーリーン(ミレーヌ・ファルメール)を三度刺して殺すそのナイフのスピードと角度も絶品で、もしかしたらワタシは劇場でおかしな声を出していたかもしれない。終盤のクライマックス、ベスが絶体絶命となるシーンでからくり人形が絶妙なタイミングを得て笑い出すのはベスがこの物語をついに支配したことの現れだったのだろうことなのはともかく、ここでベスの口から吹き出す泡の色艶と質感に陶然と心奪われたことも付け加えておきたい。
posted by orr_dg at 21:27 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする