2019年01月04日

彼が愛したケーキ職人/もっと甘くて苦いものを

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オフィシャルサイト

事故で夫を失った女主人の切り盛りするエルサレムのカフェに現れた一人のドイツ人男性が、ケーキ職人として店や人々の気持ちの中にそっと落ち着いていくも、果たしてその正体は?といった風に、彼の愛し方によるその素性を特異な答えとしてミステリーの針を振らそうとする素振りのない水平な語り口がとても誠実に思えるし、それよりは誰かを愛した瞬間に社会的かつ政治的な囚われの身となってしまう人たちの哀しみを湛えつつ、その哀しみの先に射すかもしれない光を何とかつかまえることはできないものかとこの映画は静かに歯を食いしばりながらその手を伸ばし続けていたように思うのだ。トーマス(ティム・カルコフ)は彼の知らなかったオーレン(ロイ・ミラー)の人生を肌で知ることで、アナト(サラ・アドラー)はオーレンのいない空虚の向こうにトーマスを見ることでそれぞれが喪失の傷を癒していくのだけれど、図らずもその道筋が語るのは、イスラエルに生まれたオーレンがユダヤ教の因習に苛まれながら人生を築いていかなければならなかったその苦悩ゆえの悲劇が彼を捉まえたということで、おそらくは息子オーレンの抱える屈託を知っていたであろう母ハンナ(サンドラ・サーデ)が彼の愛したトーマスに対し無言で理解を示すシーンには、劇中ではオーレンの兄、すなわちアナトの義兄モティ(ゾハール・シュトラウス)がその象徴なのだろうイスラエルの男尊女卑的なマチズモへの静かな抵抗をうかがわせているようにも思えたし、しばしばアナトが見せるモティへの反発なども知ってみれば、この(ほぼ)イスラエル映画が押し黙ったまま目をそらさなかった相手が何であったのかは言うまでもないだろう。イスラエルの社会と宗教による饒舌な抑圧に対し、言葉を解さない異邦人としてのトーマスが真摯な感情と誠実な行動でアナトやオーレンの息子イタイと交感して境界を越えていくあたりもその加勢となっている。誰一人心の通う人もいないエルサレムでオーレンの形見となった赤いスイミングパンツをはいてプールサイドにぽつねんと座るトーマスの、ただひたすら生地をこねてはそれを焼く日々を生きてきた人であるがゆえ、ハリウッド的なビルドアップとは無縁の作為のない無垢な輪郭をまとうしかない肉体の圧倒的な孤独が胸を打つし、ついには大きな子供のように泣いてしまう時の張り裂けるような哀しみがあればこそ、ミュンヘンを一人訪ねたアナトがラストでみせる表情の涼やかな孤独を受け入れたような決意が彼のみならず彼女の救いをも予感させるようにも思え、あえて茨のハッピーエンドを回答とした監督の意志と意図を石のつぶてと投げ込むことで巻き起こす波紋こそが、この映画が持ち得た美しい光の紋様ということになるのだろう。劇中でもトーマスがドイツ人であることがあげつらわれるのだけれど、こうした映画をイスラエルとドイツが合作することの反証性とその声は、映画の欠かせぬ骨子として耳そばだてつつ聞き届けておくべきだろう。すべての世界にバランスは関係する。
posted by orr_dg at 21:16 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする