2018年11月03日

怪怪怪怪物!/泣いても血しか流れない

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オフィシャルサイト

「バケモノにはバケモノをぶつけんだよ!」とでもいった人喰いの怪物姉妹vs悪ガキ高校生というホラーコメディの図式からノンブレーキでコースアウトしていくそのハンドルさばきと、その向かった先のあまりにもえげつない悪路に笑顔はぎこちなく消えていく。悪ガキというには悪ふざけの才能が犯罪的に過ぎる高校生グループに捕らえられた怪物の妹と、グループ内のいじめられっ子リン・シューウェイが出会うことで果てしなく抜け続ける悪意の底はいったいどこに終わりがあるのか、自分の身代わりになって凄惨な虐めを受け続ける怪物の正体を知ったリン・シューウェイは、束の間の解放を享受する自身の性根に対する嫌悪と怪物へのシンパシーとの間で引き裂かれながらも、何とか正気を保つべく自身を殴り続けるのだけれど、いつしかそれは彼の内心を破壊し始めて後戻りの効かないコーナーを曲がってしまうことになる。レンハオを始めとするリン・シューウェイ以外の悪ガキ達の内面や背景はあくまで書き割りとしてのクズにとどめられ(レンハオのあれはリー先生による書き割りの追加にすぎない)、映画の主眼はリン・シューウェイが最期には悪意の底に激突してそれと刺し違えるに至るその蒼い魂の彷徨を追い続けることになり、彼が最終的にたどりついた、僕たちはみな死ぬしかない、なぜなら生きるに値しないほど救いがたいクズだからだという青春のニヒルに重奏する怪物の断末魔が、いったいおまえ達が怪物でなかったためしなどあるのかと蔑むような目つきでワタシの胸をザックリと抉っていくわけで、たった一人生き残ったのが誰であったかを思い出してみればこの映画のメッセージはそれに明らかだろう。しかし何よりこの映画が誠実であったのは、強者が弱者に対して行う容赦のない加虐の図式がそのイマジネーションゆえ映画的な高揚すら可能にしていた点で、スクールバスの大殺戮の中、最期の瞬間までクズの矜持を失うことをしないシーファのクールネス(事切れた彼女のヘッドフォンから漏れるCHARAの歌うMy Way!)には喝采を送るしかなかったし、学校という世界における最凶の怪物とも言えるリー先生が火だるまとなった姿を見る昂揚も、ワタシの昏い蛮性の喚起と誘導の結果だったのだろう。そうやって深淵の怪物を覗いた時そこに何が見えるかという胸糞悪さを、繊細かつ匂い立つ露悪で幻視するプロダクションによってあくまで娯楽として成立させる確信と志に震わされる傑作。
posted by orr_dg at 02:47 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする