2018年06月04日

ゲティ家の身代金/世界を視てから死ね

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オフィシャルサイト

老境のうつしみと終焉の予感がもたらす、物質主義の手ざわりへの尋常ならざる執着という『エクソダス』以降見え隠れする御大の死生観は、ジャン・ポール・ゲティ役がクリストファー・プラマーに交代されたことでよりあからさまになったのではなかろうか。その結果、すべては映像化されうると信じて疑わぬサブテキスト殺しの御大が、それゆえ体温が立ちのぼらぬ者たちが低温火傷でのたうちまわる、その映像の殺傷能力だけで撮りきったとすら言える極北のサスペンスとなっている。それはすなわち冷血であればあるほど怜悧に光輝くという御大の法則が存分に発揮されたということであって、となればやはりお蔵入りしたケヴィン・スペイシーのヴァージョンに涎が出るのを止めることはできないにしろ、前述した死生観の発露に限って言えばクリストファー・プラマーの破壊される老人こそが御大の心持ちにジャストフィットしたということになるのだろう。したがって、体温など一度も測ったことのないゲスとして颯爽と登場するフレッチャー(マーク・ウォルバーグ)が、なぜか感情を規範に行動し始めるに連れどんどんと阿呆のようになっていくのは当たり前で、変温動物であればこそ唯一ゲティと正面から渡り合ったゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の奮闘が、サスペンスとしては明らかにバランスを失したこの映画をあくまで異形の屹立として送り届けたのは言うまでもない。それにしても『プロメテウス』で組んで以降スピルバーグにとってのカミンスキーと言ってもいいくらい御大の右目と左目と化したダリウス・ウォルスキーの、ハイパーリアリズムのような質感で現実と非現実を溶かしてしまうカメラは叙事殺伐な御大の肌によほど合うのだろう。今作ではまるで『列車の到着』のようにあらわれた蒸気機関車の煙がフレームの内部を埋め尽くすかのように充満していくショットの突発にやおら押し込まれたし、男たちに抑えつけられる3世よりも医者が自分の脱いだコートとジャケットを首尾良く壁のフックに掛けるまでの動きに視点を誘導する牽制球のようなカメラが、これから起きるルーティーンのひんやりとした凄惨を予感させて3世と共にこちらをも抑えつける。そんな風な演出家とカメラマンの仕業とあって相変わらず食べ物が暴力的に美味そうでないのは言うまでもなく、あの死骸のような分厚いステーキは3世の心を折るに十分であった。
posted by orr_dg at 02:21 | Comment(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする