2017年04月12日

レゴⓇバットマン ザ・ムービー/ダークナイト・フォーリング

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オフィシャルサイト

バットマンがひとりロブスターを食べるシーンの寂寥に、この映画の企んだ身もフタもなさがまずは最初に告げられ、この映画においてはそれが許されるのだということが宣言されて以降、アルフレッドを筆頭にロビン、バットガール、そしてついにはジョーカーまでもがスクラムを組んで、ブルース・ウェイン=バットマンに対するゴッサム・シティをあげてのカウンセリングが開始されるのである。それもそのはず、バットマンが自らの孤独と弱さを自覚してそれを克服しない限りバットマンの鏡像として存在する他のキャラクターたちはいずれ消え行く運命にあると同時に、それはすなわち主体としてのバットマンの存在そのものの危機となり、ひいてはゴッサム・シティの消滅ということになるわけで、ラストでついにバットマンが他者とつながることを(レゴならではのやり方で!)自ら欲した時にゴッサム・シティは救われて、アメコミという終わらない日常が約束されることになるのだろう。ファントム・ゾーンに囚われているのがみなゴッサム・シティに住むことが本来許されていないもの=バットマンを必要としない他社ヴィランたち(キングコング、クラーケン、サウロン、ダーレク、エージェント・スミス、T-レックス、ジョーズ)であったことはあらためて言うまでもない。そういった大団円を経て、オレはお前でお前はオレでという逃れられない関係性の泥仕合こそがアメコミの永久機関であることをあらためて知ってみれば、DCにしろマーヴェルにしろユニヴァースにおいてさらに顕著な甘噛み感がホームドラマのそれであることに今さらながら気づくのではなかろうか。だからそれはいつだって闘いではなく喧嘩なのである。
posted by orr_dg at 20:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする