2017年02月01日

ドクター・ストレンジ/魔法にかけられ過ぎて

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オフィシャルサイト


スコット・デリクソンという人は、中盤あたりまでをトップギアに恐怖をはりつけ緊張をはりめぐらして、その麻痺と疲弊とでおぼつかなくなった足取りとうわずった赤い目の充血でエンディングに這っていく姿にうっとりするところがあるので、例えば『地球が静止する日』のようにコースの決まったオペレーション仕事ではなかなか本領を発揮しづらいこともあるからそれなりに危惧はしていたのだけれど、しかしこれが、屈託を必要としない主人公が屈託につかまりそれを手なづける話であった点で下手の考え休むに似たりを裏返した真面目な顔のバカ話に思いのほか歩調が合っていたように思って、他人事ながら何だかほっとしたのである。内ゲバが悪を呼び込むというMCUの手癖自体は少々うんざりなのだけれど、どちらかというと前述したようなバカ話をやりたいがためにここでは枠だけ借りて知らんふりをしたといった方がふさわしく、諧謔で動くことのできる俳優としてベネディクト・カンバーバッチをキャスティングしたのも、ロケンロールとしてのMCUで端緒を開いたロバート・ダウニー・Jrをロールモデルにしたところがあったからなのだろう。ドクター・ストレンジとエンシェント・ワン(ティルダ・スウィントン)およびカエシリウス(マッツ・ミケルセン)による、ノンシャランとプラグマティストと原理主義者のポジショントークも最後まであさっての方向を向いたままであって、しかしそれがいい具合の目眩ましになったというべきなのか、最近のMCUで飽和気味の内省する鏡像の自己破壊ドラマからの解放と、まあとにかく今回は映像を観て帰ってよという製作陣のニヤニヤがすべてであった気もするのだ。そのトリップショットも『2001年宇宙の旅』的ポストモダンではなく『ミクロの決死圏』的サイケデリックの、超人でもミュータントでもない魔法使いといういっそうの荒唐無稽にふさわしいこけおどしに満ち満ちて、どうせなら今自分が観ているのは何の映画なのか分からなくなるまで放り込んでおいて欲しかったとも思ったわけで、となれば、キミはサウロンかとつっこまざるを得ないドーマムゥの顔かたちはいささか野暮が過ぎたようにも感じてしまうのだけれど、その脱力バトルも含め最後の最後までバカを貫いた気概はやはり買うべきだろう。取り沙汰されたティルダ・スウィントンのキャスティングは、彼女のゆうに2倍はあるベネディクト・カンバーバッチの顔面との対比でパースを狂わせて不安定を誘うためであったことも理解した。慧眼である。傷んだ肉体の微に入り細に入る描写はスコット・デリクソンのフェティッシュか。
posted by orr_dg at 15:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie/Memo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする